ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5742,つれづれに哲学 〜嘆きの谷
その時々のテーマを探すのは、人生にとって最重要事項。それを続けることは
最上の習慣化だが、12年近く実施しているわりに教養が増した感がない。
書いたと同時に完全に忘却するためだろう。しかし、この習慣、一度身に着ける
と良いことが多々ある。何か事があると、その場でキーワードを探し文章化して
しまう。3つも見つければ、完成に近い。それは、考えることそのもの。
それを後でパソコンに書き込むが、メインキーワードをテーマに入れる。
そこで違うテーマに変更する場合がある。毎日書いていると、その辺が面白い。 
プロの書き手はテーマを依頼されると、数十、数百冊の本を集め、目を通すという。
その過程で内容の荒筋をつくり、その後、内容の肉付けをしていく。現在では
パソコンとネットがある。アマゾンなどから多くの資料の入手が可能になった。
4千も超えると、同じような内容を知らぬうちの繰り返し書いている。
現在のような、有り余るような時間の中では、テーマ探しは、けっこう面白い。
それにしても、下記のテーマと文章を読み返すと、赤裸々で、心根が、
そのまま現れ出ている。今さら、虚飾も何もないと開き直るしかない!
 ・・・・・・
3905、さらし首の独り言
2011年12月04日(日)
 あの日から八ヶ月、現在置かれている立場は打首獄門の刑場のさらし台の首
のようなもの。しかし、それが面白い。その首が目をパチクリし見物人の評価
している目線と心境が、である。それも、「その辺の世間様レベル」の目線が、
かって憶えのある自分の目線として蘇ってくる。カント哲学の具体例とすると
分かりやすい。見物人は、それぞれ知っている範囲の情報と知識で烙印を押し
付けてくる。それは自分のことを言っているに過ぎないことを全く自覚ない?
愛らしさ。人生の満足度が低い人ほど、自分の影としての対象として鬱憤を
ぶつけている。それが世間様の犠牲者、「その辺の輩」という所以。
自己卑下を他の対象に投影するに一番手っ取り早い世間話のため、その視線が、
そのまま、その人となり。 他者を批難することは、自分を更に卑下している
だけの理屈が分からない。それが身近ほど辛辣になるから、人間観察にはもって
こいになる。元もと卑しい臭いのする人は近づけないつもりだったが、実は
違っていた? しかし、それが人間の赤裸々の姿。これは「自己確立の出来て
いるかどうか」の基準で見ると、直ぐに分かる。 この10数年、独学で哲学
を学んできた?が、自分の頭で考えること、現象の中にある事実と、その中の
真実。その真実も、本当に真実なのか、それともカントの言う、自分の経験と
知識の範囲の思い込みなのか?という自問自答。 その意味では「その辺の何
=自己卑下の人」も、実は私自身が貼り付けた言葉でしかない。世の中、何も
考えてないと思える人が多い。特に老いてくると、それが露出する。
それが、この文章を書いている自分に当てはまるから、これも自己卑下。
これは、実はお互い様ということ。人生は悲劇と喜劇は紙一重。 悲しくもあり、
可笑しくもありが人生、と実感する日々この頃である。 

12月04日(日)
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