ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5671,閑話小題 〜母親の命日に
「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」
私の一番苦しい時に聞いた言葉であった為か、強い印象が残っている。
小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得する。
祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。
人生の深淵のある言葉である。
「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」
という気持ちの意味が背後にある。
人生から逃げ回っている人が本当に多い。
逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。
そしていつも逃げ回ろうとしている。
このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。
「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。
苦しむから歓喜があるのだ。
マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。
最後の一言は必要ない?!
硬い話を最後で落とす為です?
・・・・・・
2002/08/16
送り火ー母への追悼文
今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。
6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文が出てきた。
もうあと一ヶ月で7回忌だ。机の中から偶然出てきた文を書いておきます。
−通夜挨拶ー 平成8年9月25日20時
本日は母の通夜にお忙しい中、遠方よりご列席いただき
有難うございました。母も心より喜んでいると思います。
この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の
12時51分に帰らぬ人となりました。
当初は三週間の入院予定で順調に回復しているように見えましたが、
まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。
88歳6ヶ月の命でした。
母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に
必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。
また通夜は明るく華やかに!とのことでした。
私自身29歳の時から21年間、母と同居、
母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。
自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。
母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。
七年前に脳梗塞がでて以来、大木がゆっくり倒れていくように・・・。
そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死」
のすざましさを身近で見せてもらいました。
私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。
母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、
誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていた。
そして途中のベンチで一本の缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。
正に霊界を二人で宙遊しているようでした。 そして一回ごとに、
これが最後かと、これが至福の時かと実感していました。
今夜は通夜参列いただきありがとうございました。
明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。
重ねて、参列有難うございました。
・・・・・・
2001/12/21
[56] 母のアルバム
昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達
の写真があった。
そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、
上部が細くなる写真に映し出された。
何回やってもそうなるので、ひっくり返してやってみてもおなじように
上部が細くなる。
怪奇現象化と薄気味悪くなりっていると、TVのBSデジタルラジオから
‘故郷’曲(ウサギ追いしかの川ーーー)が流れてきた。
遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。
仕方がないので隣にならんであった、母の見合用と聞いていた写真を
スキャンする。
何回やっても歪む、かなり小姑に虐められた話を聞いていたので
‘あの世でも上手くいってないのでは’と心配になってきた。
思い出の写真コーナーに載せてある。 2001/06/18
09月24日(土)
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