ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5312,閑話小題 〜リーマンショックから、まる7年
 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から・・
≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で
 "異郷〃との重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、
当然、その重なり合いは大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に
 味わうために金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ
少なかれ、地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇
という時間を持つ社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な
異郷感を味わわせてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも本物である
必要はない。それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、
訪れる人々にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなく
なるだろう。それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮か
べれば明らかだ。 観光には"…らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、
それを主催する側とを含めた、全体としての観光というものを話題の対象と
すれば、そこには、企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは
言うまでもない。しかし、その場合でも‘・・らしさ’は見過ごせない要素。
◎‘旅’は何よりも「道中」が主役である。古典文学を見ても、旅の話を支えて
 いるのは、目的地に至るまでの道中で出くわすことになる数々の予期せぬ
出来事だ。道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、
一段落となる。道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると
自覚する者は、本物の異郷の人である。
◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地
 までは交通手段を利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は
思い思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと
望むのは、個人的な楽しみであり、良き思い出である。
◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。
 それのみか、道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、
あらかじめ他人によって計画に組み込まれて、それなりの効果を狙った演出も
準備されている。参加客は、それらの催し物を個々にこなしてゆくことで移動
を終える。多くの場合、自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。
物足りなさも残される。しかし、全行程が保証されていて、何を見て、
何をすべきかを考えなくても安心できるという利点もある。
昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の日本人の人生は、
ツアーに似ているとも思えてくる。≫
▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。
 一応、来年中と考えていたが、年金生活者、家内の鞄持ちとして年一度が
限界か、それも無理? しかし30年近くかけて、小刻みに安いパックを
探して行っていたので、充分満足しており悔いはない。 
著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」は、言いえて妙である。 
ツアーより、むしろ観光に思える。そこでは"…らしさ"が重要と信じられて
いるからだ。それらは受け止め方の違い。やはり実感は旅である。

09月30日(水)
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