ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■脳がよろこぶ話 ー4
世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、
といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして
終焉したのか。「大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の
対談である。現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。
ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー
毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。本能とは環境を知覚する
枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、そこでどう行動すれば
よいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、人間は、
本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。
自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう
世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。神も宗教も幻想であって、
現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者
たちと集団を形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した
規模の共同体であったと思われる。この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などに
ついての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略)
・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいた
であろうから、多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の
各地の諸民族はそれぞれ独自にそれぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。したがって、
多神教が宗教の本来の自然な形であると言える。多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている
先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの
世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に
例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜と
してか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、差別され、虐待されていた
奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、信者たちと
血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。
(以下、字数の関係でカット2010年10月11日)
10月10日(金)
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