ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4927,パワレルな知性 ー5
私も二度、参加したことがある。大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く旧態だった日本に、新しい
バイパスとして、スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、販売経路の拡大戦略を指導してきたのである。
彼は死ぬ直前まで、「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、
やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証である。 ご苦労様。 ご冥福を!
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3080,再び死について考えてみる
2009年09月10日(木)
一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。地元の米屋に嫁に行ったが、小姑が多く難儀をしていると聞いていた。
「この世に、今時にこんな厳しい嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負っていたようだ。その
10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に亡くなったと死亡広告にあった。
一度、当方の事務所に来たことがあったが、創業時にホテル業についての話を聞きに行った事があった。
暗い顔をした気難しそうな人だった。「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをしているのを知らないね」と言われ、
それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、子供たちに
一棟ずつ与えるのが夢だったというから、それはそれで・・。ところで、身近な知り合いと第三者の中間の立ち位置の
「二・五人称の人」が死を考えるに最適という。第三者と第二者=知人と中間の立場の立場の死から多くのことが
見えてくる。知っている程度の人である。「死ぬ=無になる」、という論理の矛盾(無になる〜無には成りようがない
ー無いものに何故なる?)という池田晶子の言葉の通りに、死という言葉のイメージが刷り込まれる立ち位置にある
のが2・5人称の人。10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した時に思った「何で人は周囲の眼を気にして好き放題
生きないのだろうか?」と。子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、
次の疑問は父親の死に接した時である。
死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。死に際で「あと、せめて三年、生きたい」
という生への渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。その時に「人間は生きているそのことだけで
ベストである」ことを肌で感じ取った。そのためか、父親が亡くなってから人生観が変わってしまった。
「一日一日を生ききること」が人生から与えられた責務と!知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教える。
生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか!
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2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく手短にまとめていた。
ーまずは、その箇所である。
(字数の関係でカット14年09月10日
09月10日(水)
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