ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5866,閑話小題 〜トランジション 人生の転機に :トランジション理論 〜1
をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、
ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので
しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は
違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか
ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを
与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが
ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ
アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、
頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、
過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に
毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。
それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。
「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4030, 一時停止 ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や
特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。
谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を
読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた
文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
* 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも
てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい
ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活
するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は
少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると
危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに
抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり
得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいや
ながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。
人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての
夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を
喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。
倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、
青年は彼の役割を果さねばならぬ。ビリイ・ザ・キッドは若かつた。
彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスと
その中の生命に気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。
彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。
死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのは
そのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かった。彼は人間を代表して、
コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、
コスモスと戦った。 ≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。
それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為。生活のためで
あっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨てて
かからなければならない。ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって
青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる
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04月07日(金)
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