ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5555,閑話小題 〜『ルーム』
どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その
ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に
崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる
ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。
すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような
感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも
掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。
だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な
敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで
怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈
してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる
であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような
不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に
なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在
だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを
見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に
よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。
その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島
となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく
ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて
みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。
それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。だから何ごとも
一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなって
きている。問題は、その毒を貯めないよう、日ごと処理しなければならない。
現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでも
フラッシュのように、色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。
なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独り
という実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、
ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、あと数年も
しないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。
それにしても暗い顔をした老人が多い。
・・・・・・
2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
△ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
現時点で、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって
打撃が大きいのだろうか? 関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が
亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、確かな数値は、
推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。今回はまだ原発の事故が
収束に至ってない。今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ
未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 首都圏に
近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に
見舞われ、その上にリーマンショックである。日本経済は深刻な事態の上の、
これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、
現時点の判断は、10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と
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05月31日(火)
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