ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー①
亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している「あの世の会」と思うと
一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名の名が
呼び上げられ、黙祷をした。5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、
三分の一の110名の出席者。4割減ったことになる。60歳を過ぎると年々、
老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、何らかの問題が肉体に
出てくる時期にはいった。今回の同級生に卒業以来初ての出席の女性が2人いたが、
どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には懐かしさのあまり
泣いていた人がいた。私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、
頻繁にクラス会を開かれていた。20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ
毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、転居をしたために、
還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから
可能なのだろう。 男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、
まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。それにしても、65歳は長く
生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、
そのことが目的である。それで充分。しかし、恵まれている人は何処までも
恵まれており、そうでない人は、そこから抜け出せないのが人生。九州など
県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほど合点がいく。
通ってきた道で出会うことは、奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの
宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を重ねるごと実感。
幹事は大変である。とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!
・・・・・・・・
3038,明日になれば何とかなる!
2009年07月30日(木)
 これは菊田一夫の言葉である。誰もそうであるように、若いときは心配性の
傾向が強い。そして長い人生で色いろ経験して分かったことは「先の心配事は、
その時になってから当たるしかない。で、今は問題の中心から目を外さない。
明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している範囲のことしか
考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」である。
「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、心に迫る。
創業時の不安感は、底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。 
そういえば一休の逸話があった。 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を
弟子たちに遺した。そして・・ 「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた
時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と遺言し、
遷化されました。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事
になりました。弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、妙案を思いつかず、
どうしようもなくなってしまった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物を
思い出して、恐る恐る紐解いてみると、そこにはこう書かれていた。
 一巻目・・大丈夫  二巻目・・心配するな  三巻目・・なんとかなる!
それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出した。そして、そのときに
素晴らしい解決策を思い浮かべた。「なんとかなる」と信じていたら、本当に
「なんとかなる」もの。「なんとかなる」だけではなく、人生は思いようで、
本当は「なんとでもなる」ということである。19才でライ病発生以来深刻な
体験をもとにリアルな小説「いのちの初夜」などを書いた北条民雄に次の言葉。
《 私にとって最も不快なものは、あきらめである。あきらめ切れぬ、という
 言葉は、あきらめを肯定してそれに到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。
が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は実にこのあきらめと戦うこと
である。あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。というよりも、
あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。死んで勝つという

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07月30日(木)
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