ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5249,哲学は生の芸術だ 〜ニーチェ「超」入門〜
〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
* 哲学は生の芸術だ
「その人の生き方が、哲学そのもの」とすると、その人生が芸術作品になる。
それは人生を俯瞰すれば、わかる。ということは、志、信念、信条が、その人の
シナリオになる。生き様が、そのまま芸術作品ということになる! 〜p19
≪ ・・哲学は「真理を追求する」学問だと考えられている。高校の倫理社会
の教師や大学の先生たちが教壇の上で今でもそう言っているし、簡単そうな
哲学解説書にもそう記されているので、みんなそう思ってしまう。
ところがだ、二ーチェはまったくそんなふうには思っていなかったのだ。
「哲学は論理の正しさがどうのこうのというものではないし、そもそも
哲学は学問ですらない」とニーチェは考えたのだ。
ニーチェは、哲学は人間が今ここに生きるべき生の本質だと考えた。
生き方が哲学だと思っていた。真理がどうのこうのではなく、まず生き方を
二ーチェは重要視する。だから、論理が正しいから真理だという考え方はしない。
この生き方が人間としてまっとうかどうかということを問題にする。
このまっとうさとは、社会的、倫理的、宗教的な真摯さの意味ではない。
人間本来のまっとうさを具現化しているかということだ。
だから、人間はどうあるべきかということをニーチェは生涯をかけて考え、
あとで説明することになるが、人は超人として生きるべきだと考え至った。
さらに二ーチェは若い頃から、
「哲学は芸術的なものであるべきだ」とも考えていた。バーゼル大学での
就任講演ではすでにこう述べていた。
「きわめて日常的なものが、まったく新しい魅力をもって立ちあらわれてくる
こと、いな、まるで魔法の力にかかったように、たったいま生まれたものの
ように、いま初めて体験されるもののように見えるということこそ、
学問と芸術の共通点である」(秋山英夫「思想するニーチェ一)
伝統とでもいうべき緻密で乾いた論理の果てに見出されたものが哲学では
なく、哲学は生の芸術に貢献すべきものなのだ。ニーチェは知入への手紙
(1888・5/4)で「われわれ哲学者は芸術家と取り違えられるほうが嬉しい」
とさえ記している。これほどユニークな哲学観を持っていた二ーチェの言葉を、
次に「哲学者の書」からいくつか拾っておこう。
すると、二ーチェが哲学をどう考えていたかが実感できるだろう。
・「哲学は芸術であるのかそれとも学問であるのか。…哲学の目的やその産物
のうちには芸術がある。しかし、概念による叙述というその手段において、
哲学は、学問とたったこれだけの引用でも、おおかたの人の哲学に対する
イメージとまったく異なる考え方をニーチェが持っていたとわかるだろう。
実際、過去の哲学者でもこういうふうな哲学観を持っていた人はいないのだ。
これを共有しているのである。それは、詩作芸術の一形式である」
・「哲学者…彼は詩作しつつ認識し、認識しつつ詩作する…」
・「世界構成(別名は哲学)の美しさと壮大さが、今や、世界構成の価値を
決定するのである。すなわち、それは、芸術として判定されるのである」
・「(哲学以外の)ほかの学問(自然、歴史)は、ただ説明することができる
のみであって、命令することはできない」
・「哲学者が製作するものは、(彼の著作に先立って、何よりも)彼の生活。
それこそが、彼の芸術作品である。すべて芸術作品というものは、第一
には芸術家に、第二には他の人間に、向けられたものなのである」
・「哲学者…彼は詩作しつつ認識し、認識しつつ詩作する…」
・「世界構成(別名は哲学)の美しさと壮大さが、今や、世界構成の価値を決定
するのである。すなわち、それは、芸術として判定されるのである」
・「(哲学以外の)ほかの学問(自然、歴史)は、ただ説明することができる
のみであって、命令することはできない」
・「哲学者が製作するものは、(彼の著作に先立って、何よりもまず)彼の生活。
それこそが、彼の芸術作品である。すべて芸術作品というものは、第一には
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07月29日(水)
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