ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5001,閑話小題 ーつれづれに〜5001回
込むことにある。シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は
熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の重圧で寝返りが多くなる。
ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。私のはニトリで2千円だが、
そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。
他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。
(私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている) 低反発マットもニトリで6980円の
値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。ベッドには、低反発枕と、
その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムの
アイマスク、耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は
充分出ている。 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。
就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。この低反発マットを使って
気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。
・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
・長年かけて教養を積み上げてきたか。
・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが
人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。鼻歌を歌いながらスキップするしかない
場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。
人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽し
い明日をイメージして、その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い
音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器を
みたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、季節季節
の新鮮なものを食べればよい。誰でも、身の回りに楽しめることは幾らでも転がっている。
「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、
「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、成るほど上手い歌である。
いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。
何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に
語りかける冷静さこそゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、
全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」という
ゲームがマスコミで話題になっている。
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2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり −14
(o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。
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11月23日(日)
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