ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4909,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー3
そうこう考えると本当に良い時代背景だった。 情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入り口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。 毎日が驚きと、感動と、おののきの日々である。
それにしても知らないことが多すぎる。
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3062,階級社会だと! −2
2009年08月23日(日)
 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。
その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊のプロセスを身近で何人か見てきた。
その崩壊は人間性の崩壊になる。階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が無くなれば
階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。
イギリスは階級制度のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように受け入れるシステムに
なっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、
家柄より学歴を優先する社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 
 (字数制限のためカット 2011年8月23日)
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2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば毎朝、豪雨でない限り歩いている。
もう25年ほどになる。年々少しずつだが歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。
日本人の歩行は、この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では6000歩弱に、車通勤では、
4000歩も歩かない。江戸時代には日本には散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いて
いたから、敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は歩いていたという。
西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。
氷川清話には、散歩の話がところどころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が生活の中に散歩を取り入れているのを見て、
心身の健康の効用を看破した。私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常の生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けていくのがわかる。それと、脳の活動が
活発になるのも分かる。これを続けていると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など出ようがない。最近はiPodでアルファー波の
タップリ入った音楽を聴く習慣も取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識しない
ですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら歩いたのは、脳が活性化するためである。
散歩を健康のためとか、考えるため、というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った年配の人が散歩をしている。
道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに話しかけている。
 (字数制限のためカット 2012年8月23日)
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2007年08月23日(木)
2333, ホッファー  −2        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!

08月23日(土)
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