ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6874,読書日記 〜新・人類進化史 −1
▼ 事業計画をつくる時、事業構想の背後には、最悪の思わぬ事態を想定し、
 自宅ならシェルター、船なら救命ボートを事業設計段階から 組み込んで
 おいた。 父親からの教えがあったが、ドルショックと、石油ショックを
 創業準備期に経験し、その恐ろしさを知っていたため。 事業は恐ろしい!
 だから命がけで面白いが、舟板一枚下は地獄。 今は何とかシェルター?
 暮らしだが、なかなか濃口の妙な味がする! 小さな修羅場は、最悪の事態
 を想定して逆算すればよい。悲観と楽観の枠を広げ冷静になる思考法。
 ・・・・・・
4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4
2013年01月09日(水)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
                      ーダニエル・ギルバード著
  * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー�
 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に
移動した時にも正比例すると思っている。しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、
あまり変わりはしないことに気づかない。
 ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。
≪ …何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろう
 とし、相手はできるだけ安く買おうとしただろう… 
 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと
思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。だが、これを立証する
科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年
にもわたって富と幸せの関係を研究している。富が人間の幸せを強めるのは、
赤貧から抜けだし中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強め
ないという説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドル
の人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は年収一〇万ドルの人より
ずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな
国の人びとはずっと幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな
国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、富に「限界効用
逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態に
あるのはつらいが、その苦しみから抜けだしさえすれば、それ以上のお金は
増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。
ならば自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。
でしょ? いいや、はずれ。豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに
働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。
われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズ
をおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、いったん満腹になれば、最高級の
チーズを使っても動こうとしないのだ。我われ自身、パンケーキをたっぷり
食べたら、それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力
をやめる。だが、お金については違うらしい。近代経済学の父、アダムスミスが
一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、
どの人でもかぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や
装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。食べ物もお金も、
いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれ
は、食べ物を腹に詰め込むのをやめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続ける
のだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫
▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の
 純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、最上が100億以上という。
それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、
常にお金の残高を意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。

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01月09日(木)
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