ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6782,閑話小題 〜「美」を感じる心が魂 −2
変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を転嫁して他者を恨む
こと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単だけれども、フランクルは、
そういった態度は人間としての自由と尊厳を放棄した態度だと言っているのだ
と思います。
「〜生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもって
いるに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死も
そうである。苦悩と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである。
一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命をそれが彼に課する苦悩とを
自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架
としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあって
もなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれ
ているのである。」
変えようがない事実そのものをそのまま認識し、そこから自分はどうするのか
・何が出来るのか、といった自らの可能性を考える態度。それは、苦しみを受け入れ、
苦しみに耐えながら、苦しみと共に生きていこうとする態度。人はこのような
苦悩を正面から受け取る態度を取ることによって初めて、その苦悩を乗り越え、
自己をさらなる高みに引き上げることが出来るのだと思います。ここにおいて、
苦悩の持つ意味・価値が創り出されるのでしょう。
フランクルは、このように苦悩を超えることによって生み出された価値と
いうのは、他の価値とは次元の違うものであるとしています。
彼は、それは如何なる外的状況(例えば、傍から見れば「失敗」であったり
「不幸」であったり「悲惨」であったりするような状況)に関係なく得る
コトの出来る価値だと述べています。
このように、苦悩を自己の飛躍へと転化することというのは、きっと誰にでも
可能なことなのだろう、とわたしは思います。わたしたちの苦悩が収容所での
経験を凌駕するほどの悲惨なものでないのなら、この、人間が運命に対して
挑むことの出来る唯一のやり方、「事実を受け入れ、そこから生きていくという
姿勢を取るコト」は、わたしたちにも可能だろうと思うのです。フランクルも
本の中で、このような態度を取ることが出来た人が過去において一人でもいたと
いう事実そのものが、「人間がその外的な運命よりも内的にいっそう強くありえる」
ということの証しとなると述べています。
わたしたちはともすれば、自分を取り巻く様々な運命的な制限(生まれや能力、
容貌、環境などなど)に落胆し、成す術もなく空虚な気分になりがちなワケですが、
しかし、これらの変えようのない事実をしかと受けとめ、その苦しみに塗れ
ながらも、どうにかして何かをしていこうという姿勢こそが、わたしたちを
内的な成長へと導いてくれるのだとフランクルは言っています。収容所の中でさえ、
そのような偉大な所業を成し遂げた人間がいるのなら、現代に生きるわたしたちに
出来ないはずがないでしょう。全ての苦しみをかかえる人が、それぞれ立っている
場所から自己と自己に与えられたモノを見つめることによって、それぞれの意味を
見出し、苦しみを乗り越えることが出来るはず。わたしはそう思っていたりします。
「真の運命を正しく耐え、率直に苦悩することは、それ自身、行いであり、まさに
人間に許される最高の成就であり業績である。」(『神経症の理論と治療』より)
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「夜と霧」からの抜粋
ー内面化と内的豊かさ
人間が強制収容所において、外的のみならず、その内的生活においても陥って行く
あらゆる原始性にも拘わらず、たとえ稀ではあれ著しい”内面化への傾向”があった
ということが述べられなければならない。
元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細
な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるに
せよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼等に
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10月09日(水)
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