ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6778,閑話小題 〜南海トラフの大地震と津波の脅威!
続けないと人生の自殺者になってしまう。硬い殻に閉じこもり、しがみつく
しかない人生こそ避けなければならない。ーその辺を抜粋してみるー
≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど
 離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、多くの村が
散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物の
すべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは史実虚構が入り交じる物語に
埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、
アラビア数字が消えかけている大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、
緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、
奴隷、征服者、イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの
声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、
高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた
歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、道行く人の
内部にすべり込んでくる。 (・・・中略)
 わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。
ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻った
ばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。「アッ・サラーム・アライクム
(汝の身に安らぎあれ)」。若者は老人に言った。「アッ・サラーム.アライクム」。
老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? 
お前のおじいさんは、海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。
それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」
若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。
あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、よくまあ恐ろしがらずに
平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしは
ザンジバルで、何人もの知人にスワヒリ語で何度も同じ話をした。
「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が
恐ろしいことなんだ」と、わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。
そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫
▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、
 節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。何処の道理も同じ。
著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、
すべて異郷と感じている。」と述べている。そうでなくては、流れ者のように
世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の
外側を、異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の
誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。
 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。それ以外は職場は
新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。と同時に、しがみつき、
安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている
感がする。それでも、まだまだ楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、
それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。

・・・・・・
6049,「老人の壁」 〜読書日記 −1
2017年10月05日(木)
            「老人の壁 :養老孟司 , 南 伸坊 (著) 」
   * 老人の壁を突き抜けて
 「老人、如何に生きるべきか」を、根赤の養老孟司が御隠居で、南伸坊が
 熊さん役が軽く、明るく対話した内容。数年前の葬式で、80歳半ばの従兄が
同席していた。一人は地元商人。いま一人は東京下町の何かしら特許収入を持つ
商人。 前者は痴呆症が少し入っている?と思しき愚痴と悪口を語る。
後者は、一生をカメラ・映像の撮影を趣味とした人で、「老人の壁」をとうの昔に
超えている。 その二人の姿そのままが、このテーマの答えのようだ。年々、

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10月05日(土)
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