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堀井On-Line
by horii86
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■5879,閑話小題 〜通りすがりの人生
そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真
入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、
「家族とは何か」を提起する一冊。≫
〜ビュアーからの投稿より(アマゾン)
【 世の中には口にすること自体タブーとされる領域がいくつかある。
出生、能力、死、犯罪歴、宗教、遺伝、国籍などである。
本書は「家族はすばらしい」は欺瞞である、という斬新な切り口から
家族観における1つのタブーに挑んでいる。これまでにないテーマだけに
読後感は様々だろう。本書の主旨、提言などと全く無縁なまま一生を終える人は
ある意味安泰で幸福な人生かもしれない。しかし家族の中にも修復不能となる
アクシデントがなかなかの頻度で発生するものだ。配偶者との離別は無論、
血縁者間でも家族内崩壊は起きる時には簡単に起きてしまう。
一家団欒を無邪気に肯定するのも悪くないが、ある種の読後感の悪さを
犠牲にしても筆者の視点に一度触れておく効用もあろう。読み進むと上記の
保険的効用だけでなく筆者のより普遍的な家族観を垣間見ることができる。
いかに生きるかは正しい死生観が前提となるように正しい家族観には
本書の主旨の理解が前提になるのかもしれない】
▼ 家族のあり方は、時代により変化していく。TVのインタビューや、
上記の内容を見る限り、納得する部分と、違和感を感じる部分がある。
国家幻想論を、その構成要素の一つの家族に当てはめると、これまた共同幻想
でしかないことが分かる。その家族の形態が情報化の時代の中で、大きく変化
を始めてきた現在、そのあり方を根こそぎ否定してみる必要がある。
殺人事件の過半数以上が家族内殺人という現実がある。 商家の大家族の
末っ子の環境で、下目目線で家族を見てきた経験から、また両親から孫の
ように扱われたため、その温みが今でも残っている。それもあって、著者の論
は、あくまで一面でしかないことも見て取れる。 私の家族は、戦前、戦中、
戦後と、生き抜く中で、全員が病というより、戦傷の深い痛手を受けていた。
誰一人として、家族が素晴らしい!など思ったことはなかった。ただ自分ひとり
を守り、生きていくだけで精一杯。 この時代は誰もそうだったのだろう。
家族は素晴らしくあらねばは、占領国アメリカの洗脳の一つでしかない。
確かに家族は病であるが、魂の故郷でもある!家族が病と割切って良いものか?
・・・・・・
4784,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜@
2014年04月20日(日)
* 倒産よもやま話(三年後に思うこと)
倒産など滅多にできない経験である。姉夫婦、兄夫婦の倒産劇を身近にみて、
相談にのっていたのが予備知識になっていた。お陰で、右往左往することなく
比較的冷静に対処できた。「人助けは、結果として自分のため」になる。
幼馴染が10年前に訪ねてきて、倒産の生々しい話をしていたが、姉・兄と共通
する点が、弁護士などの代理人をたてること。そのための資金を必ず確保する
ことを強調していた。それもあって、迷わず弁護士に依頼した。30年来の経理
事務所の合同センター内の弁護士に依頼することになった。兄の倒産も手がけて
いたので、内情を知っていたこともあり、順調に手順が進んでいった。
無我夢中の渦中、何もかもが新鮮な体験で、ドラマの主人公のような気分。
過酷というより、「痛・面白い日々」という感覚で、惨めとか、恥ずかしいなど、
思う余裕などなし。動物的本能が自らをつき動かしていた。 2011年3月30日
午後5時に、担当弁護士の主導のもと、弁護士二人と、女子事務員と、私たち
三人の役員が起立をして礼をした後、「これで会社は消滅しました!」と宣言。
その後、経理総務は全てが弁護事務所に引き継がれた。その時から、二人の役員
は弁護事務所の引継ぎと、資産処分の補佐になる。と同時に、私は倒産会社の
前社長。翌日の午前、弁護士と二人で、地元銀行に報告を兼ねた御詫びまわり。
午後からは、従業員への事情説明と解雇の宣言。その後は、取引先からの問い
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04月20日(木)
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