ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5400,閑話小題 〜年末の早朝、つれづれなるままに
の中でマイナー・エネルギーの発散になる。シネマの迫力はデジタル技術の進化
のため面白さが年を追うごと増している。家内も、私に付いてくるようになった。
私が見てきた評価点数を聞くと全て80点以上で面白さが分かったのだろう。
千五百円なら半分の回数だろうが、千円は価値がある。今年に入って36回目、
月に三回、10日に一度の割合。 去年春の傷が癒えてない現在、丁度良い
心のバネになっている。ひとつ間違えると初老性鬱症になりそうな日々、
月に三千円の予防的抗鬱剤と割り切っている。一回ごと一冊の読書として
みると短時間で異世界にドップリ浸かることができる。これも慣れてくると、
その異世界に積極的に入るようになる。この予防的抗鬱剤、飲まないと
ストレスがより沈殿していくようだ。
* リティラシー
時どき耳にするが、いま一つ分からないカタカナ語に「リティラシー」がある。
「あの人はリティラシーがない」というと、「論理性がない」と解釈をしていた。
そこで調べてみると「断片的情報から、必要な情報を引き出す能力」とあった。
そういう意味では、日本人が一番欠けている能力。 読書からして、
このリティラシーが基礎として必要である。断片の情報から推論を重ねることで、
ある結論に達する能力ということ。論理とは、そもそも推論を推し進めること。
それにしても「リティラシーが足りない」と実感する日々。
・・・・・・
3928, 精神力ーその偉大な力 ー15
2011年12月27日(火) 「精神力ーその偉大な力」ダン・カスター著
* 私は在る、私はできる、私はする
意識する存在として、私たち各自は精神の意識するポイントであって、
何を持とうとするか、何でありたいかを選ぶ力をもっています。エマソンは
自己信頼についての論文で、「広い宇宙は善いことに満ちているが、滋養ある
トウモロコシは、耕すべく与えられた一定の地面に人が労力をつぎ込んでのみ、
手に入れるのだ。彼の中に住む力は、自然界における新しいもので、彼以外
誰ひとり、彼が成し得ることを知らない。また彼みずからも行なってみるまで
は知らない」と言いました。私たちは常にみずからについて何かを信じています。
だから思考のタネを潜在の耕土に植え付けているのです。雑草のタネは雑草に、
野菜のタネは野菜にになります。病気、貧困、不幸のタネは、偉大な主観的で
創造的な媒体に根を下ろすにまかせると、それが生育して体験になります。
正しいタネを選びたいものです。
・・・私たちは自身も否定的な思考と同一化するかわりに、肯定的積極的な
思考と同一化することを学びましょう。私たちの知りかつ理解しうるかぎりの
最高の理想と同一化することを学ぶべきです。事実私たちの人生は完全な人生。
こういえます。「私は体内に無限の神、すなわちエネルギーの化身である。
肉体の真の偉力、身のまわりのすべての威力は、太陽、月、星をそれぞれの
位置に保つと同じ力と同じである。それはバラの花を咲かせる力である。
あの無限な力が私に個人化したのである。私の意識する心を通して、からだに
おいて、身辺の諸事において、それを正しい動作に指向することができるのだ。
なにものも私の選ぶ力を拒否することはできない」「私のなかの知性は無限の
精神の知性である。その知性に限界はない。それは終わりもなく底もなく、
私が実在するそのポイントで無限である。普遍の精神は私の使う精神である。」
「私は永久の大生命、エネルギーの化身であるから、私にとり、持ち、在り、
なすことが正常で、かつその権利あるすべてのものを持つことができる。
私の真の自己は永遠の存在である。私は在る。だから私はできる」・・・
▼ 書き写していても気持ちが奮い立ってくる言葉である。この歳で今さらだが、
しかし一日一生とすると、決して軽く見ることもできない。せっかくの一日、
「私は在る、できる、そして私はする」は、積極的生き方の基本。人間の最大の
欠点のひとつは、ひ弱で何か欠けていると感じて、目前の挑戦に尻込みすること。
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12月27日(日)
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