ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4992,暴走する世間 −8
ている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、大きな差が現れる。
75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。
気象予報官についても、経営者についても、同じ。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、
自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。困難が過大になるほど、
自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのか
というと、情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと
勘違いをする。だが、実際には、そうとは限らないのである。それは見聞ではなく、
自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが
他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、それは回りまわって自分に返ってくる。
それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。
不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、
それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、自分を並以上、いや特別な
存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人
ほど注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・
そうすると自分を大事に扱わなければ。
・・・・・・・
3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと
思っていた。ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が
紹介されていた。その概略というと、
≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った
人物で、その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの
議論の機軸になったと言われている。リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値
の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと「善に対して正の優先性」をとる立場。
本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。金持ちと貧乏人、
才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで
一強多弱が進むと、その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが
平等と公平の問題になってくる。それを克服するために正議論が出てきている。
正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に
対して平等の権利を持つべきで、この自由の体系は他者と両立しなければならない>
という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。
◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。
(a)「社会の最も恵まれてない人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という
条件の下で 全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫
▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。
資本主義も、社会主義も、家系の知力、資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。
それが、そのまま、社会的格差になっている。中学校の同級生の、その後の人生を見ていると、
その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある)
ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの
「正」を優先させるところにある。それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、
公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。「平等は無理としても、公平であるべき」
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11月14日(金)
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