ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4928,パワレルな知性 ー6
【 オックスフォードでは、しきりとこの本「論理哲学考」が参照されいたけれど、学生は読むように
勧められていなかった。これを理解するには、論理学の技術に習熟する必要があったからである。・・・ 
私はこの本に取り組む準備はできていると感じた。 おそらく、このような本だと知ったときほど驚いたことは、
あとにも先にもないのではないだろうか。オックスフォードでは『論理哲学論考』は常に論理実証主義の基礎をなす
文献として挙げられていた。ところがきちんと読んでみると、その中心テーマは論理実証主義のほぽ対極にあった。
 論理実証主義者は、世界に関するあらゆる真理探究を科学に同化させる傾向があり、その結果、科学を律する基準
によってすべての真理探究活動を判断し、科学的発言に適用されるルールによってすべての発言の妥当性を判断した。 
観察か経験により立証されるものしか、世界について知ることはできないのであり、確実な論拠を提出できるものしか、
有効に、もしくは正当に語ることはできない。だが重要な事柄はすべて、少なくとも原理上は語ることができるはず。
そして曲がりなりにも語ることができるものは、明確に語りうるだろう。『論理哲学論考』は、こうしたこととは
正反対に、きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい示すことができる
だけと言いきっていた。それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。 また、「論理哲学諭考』は
科学をあまり評価していなかった。命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、すなわち事実と論理にかわる
事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、役に立つというよりむしろ誤解を招きやすいので、
有益というよりむしろ有害となりやすい。このため、私たちにとってきわめて重大な意味をもつ問題はどれも
その範囲の外にあることになる。倫理・道徳・価値観に関する疑問・人生の意味に関する疑問、自我や死の本質に
関する疑問、全体としての世界の存在に関する疑問は、観察にも論理にも解決できない。したがって命題言語が
扱えるものではなく、強引に命題言語で処理しようとすれば、行き詰る結果となる。】
▼《『論理哲学論考』は、きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい
 示すことができるだけだと言いきっていた。それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。
また『論理哲学諭考』は科学をあまり評価していなかった。命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、
すなわち事実と論理にかわる事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、役に立つというより
むしろ誤解を招きやすいので、有益というよりむしろ有害となりやすい。》 上記の中で、この部分は非常にシビアで、
したり顔で小理屈を述べている学者風の人を一言で切り捨てている。これは哲学の否定でもある。語りえないことを、
哲学は求めていることになる。論理実証主義者と言語哲学者たちが、この『論理哲学考』を全く誤解していたことになる。
*「論理は考えられるもの」の範囲を定める。 * 語りえないものには沈黙を * 言語は「写像形式」によって
世界につながっている。 言語はものや出来事を写し取って名前をつけたもの * 言語が対象に意味を持たせる
=言語ゲームの始まり、である。「言語が語れることだけが思考できる範囲」と言うが、私として、
「解釈できる範囲が思考できる範囲」であって欲しいが。
 ・・・・・・・・
3456, 渥美俊一氏死去 −2
 2010年09月11日(土)
 一回の追悼文で終わる予定だったが、何か言い足りないので更に書く。
7月21日に亡くなったが、どういう訳か死亡記事を見過ごしてしまった。知人に聞くと日経新聞に小さ
載っていたという。氏の業績から言えば、より大きく取り扱われてよいのだが、既に時代が変ってしまったか? 
所詮はスーパーの神様でしかないのか。早くいえば、流通先進国アメリカをウォッチング、そっくり真似をし、
日本の遅れている流通経路に新しいバイパスを創りなさい、ということである。「大量生産、大量消費の間に、

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09月11日(木)
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