ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4908,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー2  
男女とも「わがまま」の人が長寿である。「自分勝手」とは、少し違うが、我が強い人である。
「わがまま」の意味は、「自分が決めたことを、自分の思うようにできている」で、誰かが元気が
ない時に、その人が喜びそうなことを、積極的に動く人。それは「自律できている」ことである。
自律を保つことで幸福度を高く保っている人ということになる。アメリカの心理学者が、面白い
実験をした結果がある。 
≪ 三匹の犬を一緒につなぎ、電気ショックを与える。 一匹目は、電気ショックを与えたら、
 鼻でパネルを押すと電気ショックを押すと止むようにし、二匹目は、一匹目が押した時に、
電気ショックが止むが、自分では何をしない。三匹目には何もしない。これを繰り返した後に、
それぞれを仕切に分けたボックスに入れて、電気ショックを与えると、二匹目の犬は、すぐに
飛び越えられる低い仕切りでも、うずくまっただけで、逃げようとしなかった。
 この犬の状態を「学習性無力感」と呼ぶ ≫ 】
▼ 何か勤め人根性が染み付いて、退職後に誰も指示しないため無気力になる大方が
 二匹目の犬に近い? 身につまされる人が多いだろう。身近な人に似たような人がいるが、
人生は誰も同じようなもの? わがままな二代目か、婿取り娘が果たして長生き?かというと、
そうでもない。それぞれ気苦労がある。ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、
10年20年が必要。 今からでも遅くはない。
 ・・・・・・・
3801, 哲学人 ー③
2011年08月22日(月)
           『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 ー 第一章 子供のころの記憶  〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 場K
【 何かが存在するためには、その何かは「ほかのものとは違うなんらかの個性」を備えていなければならない。
つまり、その何かは「異なるもの」も存在していなければならないのであり、その「何かに限界がなければならない」
のである。したがって、いまあるものに終わりがないということはありえず、いまあるものに始まりがないという
こともありえない。私は始まりのない時間も終わりのない時間も不可能であると確信するようになった。 
かといって、始まりや終わりがあるという可能性をつかめそうにないわけでもなかったが。 さらに、似たような
問題が空間に関して存在することにも、私はすぐに気づいた。いまでも覚えているが、ロンドンからイングランド
中部のマーケット・ハーボロに疎開していたころ(確か十歳か十二歳の頃だった)。
公園の芝生に横になって雲ひとつない青空をずっと奥まで見通そうとしながら、こんなふうに考えたことがある。
『 もし僕が空のなかにまっすぐ、昇ってそのまま突進んでいってたら、どこまでも進んでいけたっていいはずだ。
でも、そんなことはできない。どうしてできないのか? きっと最後には終わりみたいなものに突きあたるからだろう。
だけど、どうして?最後に何かにぶつかるのだとすると、その何かは空間のなかにないといけないんじゃないだろうか。
そして、その何かが空間にあって、空間ももっとあるとすると、その向こう側にも何かがあることになるんじゃないか。
ただ、そうすると限界がないことになるけれど、終わりのない空間なんかあるはずない。終わりのない時間がありえない
のと同じである。』
 こうした問題にしきりと頭を悩ませた末、私はこう考えるようになった。最大の間違いは、自分に想像できない
ものがあるはずはないという仮定にあるのだろう。 考えられることと、実際にありうることとは違うのかもしれない。
結局のところ「つぎはどうなる? そのつぎは? そのつぎは? そのつぎは? 」と、ずっと問いつづけていれば、
確かにある意味では、永遠につづいていくものがあると考えることはできる。しかし、その永遠につづくものは
考えられるだけで、実際には存在しないということも、当たり前のような気がする。 無限というものは、考える
ことはできても、存在することはありえない。たとえば星の敗が無限であることなど実際にはありえないように・・。

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08月22日(金)
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