ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6838,閑話小題 〜下ネタ ―5
 家内のは、その日のテーマを決めて、美術館巡り、歌舞伎・立ち見席とか、
その日のスケジュールを組んで歩き回る。 年二回のサービス切符で、集中
してお上りを独り楽しむのも、慣れてしまえば、自由を満喫できる。
 これは、海外ツアーで鍛えられたため、可能になる。ツアーに参加している
感覚に切替えれば、軽いもの。当初は、義姉、妹などを案内、コンサート、
新名所とか、デズニ―ランドに通っていたが… 私が『ツアーと思って毎日、
通えば、宿泊代が浮くんじゃないか!』と提案して以来、単独行と相成った。  
 節約は私、遊びは自分と勝手に決めつけ楽しむ家内との家庭内格差だが、
それが趣味なら、口出しは出来ない。いずれ直に動けなくなるのだから…。
その間、私は冷凍食品を食べ、寝室に籠ってTVドラマ、録画の映画にドップリ
浸かる日々。家内が居ない世界も、心安らかで… としても、家内の方が楽し
そうだ! いや、どうだろう、面白い映画の仮想世界の没入も決して侮れない。
「これも何時まで続くか?」の時節に入ったため、一期一会で楽しめている
こともある。 今年の日常、非日常の面白さの満足度は90点。いや85点。
 すべて、習慣化による経験と知識の蓄積と、その活用による? いやいや、
「御前さんのそれは、自己欺瞞でしかない、この程度で満足? 知らぬが仏。
娑婆には、もっともっと面白いことが有るのに…」が、本当のところ… 。
家内の4日間の通勤?から帰った幸せそうな顔をみると、
<己の世界は、「井の中の蛙、世界を知らず、井の上の天井を知る」とか
いう、「バカの壁」に囲まれた蛙かい!> と… 面白くもない世界を
面白くを、老齢の知恵で楽しむしかない。 さて、今日は何を楽しむかだ!

・・・・・・
5742,つれづれに哲学 〜嘆きの谷
2016年12月04日(日)
             「生きづらさからの脱却」岸見一郎著
  * アドラーの「嘆きの谷」
 私がみるに、悲観的傾向が強い人が、女性で3人に1人、男性が4人に1人
の割にいる。その中で更に強い人は1割ぐらいか。知人にも数人、非常に悲観的
思考の強い人がいる。連れ合いとの不適性があるが、何もかもを悲観的に捉える。
ある婦人、目を見張るほど美人だが、いや、だったが、万年ウツ状態で、日常が
常に暗い状態。誰も躁鬱の波を乗越えて生きているが、問題はマイナスの程度。 
アドラーはカント同様、クル病だが、そのハンデを乗越えて、フロイト、ユング
につづく三大心理学者の一人になっている。根には、「その程度のことで、何で
落ち込んでいるのか!」があるため、その説得力が強い。 
  〜その一節から〜
≪ 世界を「嘆きの谷」と見ようとし、いつも苦しんでいる人がいる。
 アドラーはそのような人は「途方もない重荷を担って人生を歩もうと不断に
努力をする」と言っている。些細な困難をも誇張し、将来についても悲観的に
しか見ない。身のまわりで喜ばしいことが起ると不安になり、どんな対人関係
にも「影の面」を持ち込む。
 「嘆きの谷」という言葉は元もと旧約聖書の『詩編』に出てくる。
エルサレムに巡礼する人は、乾燥のため枯れ果てた谷底の道を歩まなければ
ならなかった。このような人が、世界を「嘆きの谷」と見ようとするのはどう
いうことか。アドラーの解釈と違って、『詩編』では、神によって勇気を
出し、広い道を見ている人は「嘆きの谷を通る時でも、そこを泉とするだろう」
と言われている。生きている限り、「嘆きの谷」を避けては通れないが、勇気
ある人はそれを「泉」と見るのである。ところが、この世界の嘆きの谷とみて、
どんな喜べる機会にも、「カッサドラの叫び」しかあげない人がいるとアドラー
はいう。ギリシャ神話に出てくるカッサドラはアポロンに愛された。アポロンは
カッサドラに愛を得るために彼女に予言能力を与えた。しかし彼女は、アポロン
の求愛を断った。そのため、アポロンは誰も彼女の予言を信じないようにした。
カッサンドラはトロイアの滅亡を予言されたが、無視された。

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12月04日(水)
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