ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6109,閑話小題 〜根深いが、軽い問題だ、これは!
ある人はそれを「泉」と見るのである。ところが、この世界の嘆きの谷とみて、
どんな喜べる機会にも、「カッサドラの叫び」しかあげない人がいるとアドラー
はいう。ギリシャ神話に出てくるカッサドラはアポロンに愛された。アポロンは
カッサドラに愛を得るために彼女に予言能力を与えた。しかし彼女は、アポロン
の求愛を断った。そのため、アポロンは誰も彼女の予言を信じないようにした。
カッサンドラはトロイアの滅亡を予言されたが、無視された。
アドラーは、<この世界を嘆きの谷とみて、「カッサンドラの叫びしかあげない」
というのは、不吉なことしか言わないという意味だが、決して、トロイアの滅亡
を望んでいた訳でない。
 〜ネット検索に、「嘆きの谷」で調べると、
≪・アドラーは仕事の課題、交友の課題、愛の課題という人生には避けては通る
 ことができない課題がある、という。これらの課題を解決する能力がないと
 考える人は、なんとか理由を考えて、人生の課題から逃れようとする。
・アドラーが「劣等コンプレックス」という言葉を使う時、次のような意味と
 して使っている。すなわち、「Aであるから(あるいは、Aでないから)、
 Bできない」という論理を日常のコミュニケーションの中で多用するという
 意味である。このAとして他の人がしかたがないと納得しないわけにはいか
 ない理由を持ち出すのである。
・神経症はこの劣等コンプレックスに他ならない。人生の課題を前に直面しよう
 としなかったり、ためらいの態度」を取って立ち止まる。「はい〜します、
 でも、(yes...but)といって、結局課題に取り組まない。神経症に限らず、
 人は意識しなければ、すぐに「でも」といってしまう。
 <何かをしようと思う、しなければならない、「でも」と…>
・カウンセリングの時、あまりに頻繁に「でも」という人があって僕はその人が
 「でも」というたびにカウントすることにした。本人はそのことを意識して
 いなかったからである。やがてこんなふうにいわれるようになり、次第に
 この言葉が用いられる回数が減っていった。「まだ今日は一度も『でも』と
 いってませんから、一度だけ『でも』といわせてください」
・人生の課題に挑戦する時、失敗すること、敗北することを恐れる人は、課題
 から退却しようとする。何をする時にも必ず成功しなければならない、と考え、
 成功するという保証があれば挑戦する。しかし失敗が少しでも予想され、
 成功することが確信できなければ最初から挑戦しようとしないか、失敗しても
 そのことによって致命的な打撃を受けることがないように、いわば綱渡りをする
 人が転落することを予想して下にあらかじめ網を張っておくようなことをする。
 症状はこのような目的のために創り出される。
・人生の課題を前にして敗北を恐れる人は、課題に挑戦することを回避する
 ために時に神経症になって、「足踏みしたい(時間を止めたい)」と思う、
 とアドラーはいう(『人はなぜ神経症になるのか』)。
――
▼ 上記の「カッサドラの叫び」しか上げない人に、マイナーな視点の話題を
 ふると、大きく首を振り、どんどん話が進む。何処にも、『内幕情報屋』が
存在して、ネタを探し出して人の懐に飛び込む。それが、万引き、置き引きと、
同じくらい、いや、それ以上の犯罪行為でしかないことを知らない。で、その
毒は、喜んで聞いてしまう方にも、同様に罪になる。誰もが持っている要素
だから始末が悪い。

・・・・・・
5377,武器としての決断思考 ーB
2015年12月04日(金)
        ー武器としての決断思考〜 瀧本 哲史 (著)ー
 『学問のすすめ』が、明冶5年の3000万人の人口の中で、300万冊の大ベスト
セラーだったというから、当時の民度が高かったことが窺い知ることができる。
明治初期の日本で、欧米のバイブルみたいに読まれていたことになる。
今の人口比からすると1200万冊。明治以来、日本は果して進化したのか。
現在の日本人の多くは、これだけ読む知性も、教養もない。 明治以来、

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12月04日(月)
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