ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6110,閑話小題 〜腰痛の中、何とか上京してきたが
閑話小題 〜何とか上京してきたが

   * 先週の土曜日は同級会で上京し… 
 先日、学生時代の同級会のため上京。一時間半ほど、上野の『西洋博物館』で、
‘北斎とジャポニズム’の美術展をみる。9月にはNHKで放送された「眩(くらら)
〜北斎の娘〜」のドラマを見ていたため、北斎の実物の版画と、それをマネた
有名画家の西欧絵画や、北斎漫画の挿絵・陶器を対比させ、並べてあった。
 そして、日本橋の『魚久』に30分前に到着。 10年近く前から、この会に
出席しているが、料理がさすがで、鰆の味噌漬けと、マグロの刺身が絶品… 
いつも、お土産に、ニシンと、鰆と、イカの西京漬けを買って帰る。成るほど、
ここは日本橋の甘粕横丁。吉原に近く、その流れの御客用に、酒蔵とか、魚屋、
それを使った西京漬けの店などが列をなしていた界隈。
 帰りは、20時52分の新幹線に乗って、帰ってみれば23時近く。それでも、
朝の6時前に起床し、8時前に「随想日記」を書上げ、アップ。これも習慣が
成せる業? 年一の上京が、岩場の魚には刺激的で面白い! ‘明治’から、
今度は‘昭和は遠くなりにけり’ですか。再来年に元号が変わると、更に実感
するのだろう。 私の両親は明治生まれ、家内の両親は大正生まれ… 
 〜参考のために〜
 平成元年は西暦1989年。現時点で、
 昭和にすると92年、
 大正は106年、
 明治は150年になる。
 明治元年は西暦1868年。
時代が激変するが、自分の意識は、さほど変わってないのは、これ如何に?
そう思っているだけで、実は様変わりをしている。知らずと、挑戦し、戦い、
変化し続けているのだろう。日本の歴史上、我々世代は、最善の時代環境の中、
最適な大波の上をサーフィンをしてきた。ここにきて、怪しげな大波が近づい
てきたような… 
追)去年も同じような文章が書いてあった。篭の中の回転車でハツカネズミが
 走り続けている世界だ! ネズミ:「じゃあ、どうする?」 「 … 」
https://matome.naver.jp/odai/2134658143035339801
https://www.youtube.com/watch?v=KRXaE7SwJp8

・・・・・・
5743,閑話小題 〜同級会 @
2016年12月05日(月)
 一昨日、毎年行われる学生時代の同級会のため上京した。
今回の出席は12名。いつも、17〜8人で、3分の2で少な目。
会場は、同級生の『魚久』という甘粕の魚漬物店で、本店の
隣に料理店。百貨店地下に必ずある有名店で、同級生が、
社長、いや今では会長。 毎年、食べる度に、その美味さに、
惹かれていく。日本橋は昔、料亭とか、遊郭があり、酒造工場
とか、魚が集まったところ。今でも昔風の料理屋が多く並ぶ。
 この会は、教養課程で編成されたクラスの人を中心に集まった
忘年会である。学校の人間関係は、クラスのコンパや、クラスの
指定席の周囲が、まず顔見知りになり、友人になっていく。
そして3年、4年の専門課程の二年間は、クラブ、ゼミなどを
中心にした人間関係へと変わっていく。その変遷が学生時代の
醍味で、自分づくりである人間関係構築の機会になって、卒業と
同時に全国の「緑の原野(社会)」に散っていく。
 まず当初のグループは、大雑把にいうと、
・小中高の付属校からエスカレターで上がってきたグループ、
・東京在住の人たちが主のグループ、
・地方でのアパート暮らしのグループ、へと自然と分かれる。
そこから更に、クラブ、ゼミなどの選択で人間関係が深まっていく。
 私の住居は、早大の理事が私的に経営していた寮で、日常生活は、
そこの気の合った各大学の学生たち。5〜600坪ほどの角地に平屋の
L字型の建物に部屋が並んでいて、角の部分に共同炊事場、それぞれ
の端にトイレがあり、通路は土間。今風にいうと、シェアハウスの
要素が強く個々の絆は強かった。悪くいえば、牛小屋そのもの。
敷地の中央に大家の家族が住んでいて、その間には芝生の庭があった。
南早稲田の住宅地に、オアシスという風でもあった。 朝晩は自炊で、
昼は学食が中心であった。当初は小学校の家庭科の実習を思いだし、

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12月05日(火)
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