ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6058,閑話小題 〜恐ろしい身近な現実 −3
 この結果、ぎらつくエリート意識も権力欲もない社会的上層部分がつくられ、
「一億総中流」の終わりと、経済的弾力性が失われることになる。その結果が、
現在の日本経済と失落原因になっている。3人の義兄が、その典型だったが… 
残る兄と、義兄と、私を含めた三人は、時代の変化についていけず、この結果。
 何れの人生も、<恐ろしい身近な現実>の様相を示すが、それも雷光の一瞬!
【上を見ればきりがない、下を見れば底がない、横を見れば情けない】ですか。

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5691,自分のための人生 〜C
2016年10月14日(金)
           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
   * 「幸福は才能なり」
 『幸福』について、この数年来かけて考えてきた。
以前なら、幼稚な話題として避けていた。当然、会話で話題にすること自体が、
憚れた。それが、老い先短くなればこそ興味が湧いてきた。「私の人生、幸せ
だったのか。」と、冷静に人生を振返るテーマになる。 私自身、幸福系と
思いこんでいる。家内は、私より遥かに幸福系である。両親の愛情を一身に
受け育ったことがある。不幸の事態に多々あってもも、何かの力で、一瞬、
助けられてきた。判断と決断にあたって、純粋な視線と、集中力を持ちえた
ためだろう。傍からみれば、「不幸な大変な人」だろうが、そうでもない。
                    〜p/29〜       
≪・学業が優秀な人、ある種の学問分野にひいでた人が「知的」であると
 思われているが、しかし精神病院には優秀な成績証明書を持っている人も、
持っていない人と同じようにあふれるほどいる。 ・・・(中略)
いわゆる知能を測定するためのよりいっそう確かなバロメーターは、一日一日
を、更に一日のうちの一瞬一瞬を、効果的に幸せに送っているかということ。
その瞬間を費やす価値のあることのため一瞬一瞬を生きているなら、そういう
人こそ知的だといえる。たとえある特殊な問題を解決する能力はなくとも、
幸福な生き方を「選ぶ」ことはできる。最低限、不幸を選ばないということを
わきまえている人は知的である。 ・・・(中略)
・問題を解決する能力によって知能を測定するのではなく、むしろ、問題
そのものは解決しようがしまいが、自分自身は幸せで価値ある人間で要られる
才能を持っているこかどうかで、知能は測定できる。 ・・・(中略)
・金銭、老齢化、病気、死、天災、事故などはすべて、どんな人間にとっても
問題になる事柄であるが、そのようなことが起こったとき、うまく切り抜け失意
や不幸にとらわれない人もいれば、衰弱し、不活発になり、神経衰弱に陥って
しまう人もいる。人間である以上、問題の一つや二つあって当たり前と受け止め、
問題の有無を幸福の基準としない人こそ、我々が知る限り最も知的な人々である。
そしてまた、最もまれな人々でもある。
・「NHK 白熱教室 /考福学(ディーナー博士)」によると、
「幸せは、人を介したネットワークによって伝播していく」
「人とのつながりが、生涯の幸福度を決める」とのこと。幸福な人のもとには、
 幸福な人が集まり、さらに伝播していく性質を持っている。≫
▼「幸福は才能なり」とは、いいえて妙。幸福の人には、不幸の人を近寄せ
ないバリアがある。才能とは、持って生まれた性分と、長年かけてつくられた
能力がある。幸福論によると、<幸せの状況は、マイナス1に対し、プラス
3〜6以上割合で、それらの要素を身につけているかにある>という。
仏教系は、苦を滅することを教え、西欧系は、楽しみを増やすことを勧める。
楽しみは、求めれば幾らでも得ることが出来る。その為には才能が必要になる。
 どちらを選ぶかは、その人の特性で選べばよい。どっちつかずが一番悪い。
5年前の節目時に、少しキツメな一日、一週間の日程を自分に課した。そうでも
しないと、自滅する危険があった。その日程で、充実した日々を過ごしている。

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5326,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ーB
2015年10月14日(水)

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