ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6051,「ナミヤ雑貨店の奇蹟」 〜シネマ観賞
気が惹かれる。家のなかにいるのは、第一人称、第二人称、そこにいない
のが第三人称。通りすがりの人はその第三人称に入らないことに気づいて、
第四人称の範疇をつくった。第一から第三までの人称の世界で起こっている
ことは、局外の第四人称ではまったく別の受け取り方をされる。
当事者が面白くないことも、第四人称の人にとっては、面白く、見える。
その人にそなわっている感性である。p164 >
〜アマゾンの評論に簡潔に以下の説明があった。
<著者が定義づける「第四人称」は、小説の作者ではなく、また作者の想定
した読者でもない、作者作品読者といったコンテクスト(文脈、状況、背景)
の外にいる”アウトサイダー”。要するに、作品世界の作者を第一人称、
それを読む読者の立場が第三人称、そして≪翻訳≫の立場にある者が第四人称
といったところ。
傍観者の視点を第4人称と定義し、多種多様な状況に置いて第4人称の果たす
役割を考察している。傍観者であることの効果、傍観者がいることの効果という
切り口で様々な物事を読み解く視点が面白い。>
▼ 40,50歳代に、年2回の割合で、異秘境を中心にしたツアーに参加して
きた。30,40,50回と、数を重ねるうちに、成田に向かう電車に乗ると、
「ああ、戻ってきた!」という気持ちになる。その先々での非日常の視点が、
旅行の度に、広がっていき、「第4人称」としての自分が確立したような。
それぞれの旅が数珠のように繋がり、別世界を拡大していく感覚になる。
そこは、日本での日常とは全く違った別世界。この良さは、普段、目を
瞑って、思い起こせば、何時でも入っていけること。
オリンピック個人総合優勝を持つ内村航平選手が、インタビューで、
<自分の脳内に、『小さな自己』がいて、そこから競技の指示をする。>
と語っていたが、これは何人称?
・・・・・・
5319,不平等を歴史に学ぶ 〜A
2015年10月07日(水)
【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】
〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著(新潮45・2015年3月号)
* アメリカの格差拡大と、そもそも「“資本”とは何か」
「アメリカの千分の一世帯が、九割の世帯とほぼ同じ資産を持つ!」という。
情報化によるグローバル化は、その格差を更に大きくする。TPPで、世界の
GDP40%の環太平洋の経済圏が出来ることになった。関税の垣根が低く
なることは、競争の激化は、アメリカ並みの格差の拡大を意味する。
恐ろしいが、この流れは止めようがない。 〜その辺りから
≪ アメリカは、先進国でも別格に富の集中が進んでいる。
上位1%の所得が国民所得全体に占める割合(所謂“1%占有率”)は、
1986年には9%だったが、2012年には19%にまで増えている。小さい数字に
見えるかもしれないが、日本(2010年の段階で9.5%)やフランス(8%)
と比べるとこの数字は際立っている。資産格差のほうはもっと深刻だ。
『エコノミスト』誌の記事によると、アメリカの上位0.1%に当たる16万世帯
の資産総額は、下位90%の1億5000万世帯の資産総額にほぼ匹敵するという。
『21世紀の資本』は、所得や資産の上位層への集中を示すデータ
(“1%占有率”や“10%占有率”)を用いて、それがなぜ生じたのかを
歴史的・理論的に明らかにする本である。今までのところ、富の集中は
アメリカで顕著に表れているが、本書の議論に従うなら、これはアメリカ
社会に固有の現象ではない。先進国なら今後どこでも生じるだろうと予測。
今現在、日本ではアメリカほど極端な富の集中は起きていない。
“1%占有率”は1980年代(7%台)から現在(9.5%)までそれほど変わって
いない。だからこれまで日本の格差論争では、富裕層とそれ以外の不平等は
それほど重要視されていなかった。ところが、ピケティ氏らが整備した
『世界高所得データベース』を見ると、上位10%の占有率は日本でも上昇中で
あることがわかる。2010年には40%と、先進国でもアメリカ(48%)に次いで
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10月07日(土)
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