ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5914,閑話小題 〜気力が強くなるは!
☆ 生きるとは呼吸することではない。行動することだ。  
    〜ルソー(スイスのジュネーヴ共和国出身の哲学者 / 1712〜1778)
☆ あなたができると思えばできる。できないと思えばできない。
  どちらにしてもあなたが思ったことは正しい。
    〜ヘンリー・フォード(フォード・モーター創業者 / 1863〜1947)
☆ 人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
     〜フランシス・ベーコン(英国の哲学者、法学者 / 1561〜1626)
 :悪い道には悪いのが屯している。良い道には良いのが屯している
☆ 危険を冒して前へ進もうとしない人、未知の世界を旅しようとしない人
  には、人生は、ごくわずかな景色しか見せてくれないんだよ。
    〜シドニー・ポワチエ(米国の映画俳優、黒人俳優の先駆者 /1927〜)
☆ 世間からいくら拍手喝采をあびようとも、結局、自分らしく生きていると
  いう実感が得られなければ、何の意味もない。
      〜斎藤茂太(日本の精神科医、随筆家 / 1916〜2006)
☆ 人間には、必ず人生の転機を直感し、的確に判断できるかどうかを試さ
  れる時が何度かある。 〜アントニオ猪木(元プロレスラー / 1943〜)
☆ 人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではありません。それは、その人の
  選択なのです。選択とは、つまるところ、わたしたちの責任なのです。
   〜エレノア・ルーズベルト(米国のファーストレディ /1884〜1962)
☆ 明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。
   〜パブロ・ピカソ(スペイン出身の画家、彫刻家 / 1881〜1973)
▲ 楽観的人生には、長年かけた防御策が必要である。万一の悲観を考え、策を
立ててない楽観など、真の楽観ではない。 思い切った挑戦も、十二分の準備が
あればこそ。それを前提に、以下の箴言を読むと、その深みが見えてくる。 
 考えぬいた末の決断ならよいが、軽率な思い付きでは、それが、のまま直に
跳ね返ってくる。 博打で一番、効率が良いのは、万全の計画の上での創業。
 その当たりは5%辺り。その博打?を、遊びまで高めれば、出来ないことが
出来る。 しかし引き時を誤ると・・ どの道、死んでしまえば同じ泡わわ〜

・・・・・・
5184,世間の捨て方 ー①
2015年05月25日(月)
         『世間の捨て方』ひろさちや著
 常日頃から〈『世間』という妄想と、その害毒〉について何度も論じて
きた。それを、この前書きで、そのまま、理路整然と書いてあった。
 20歳で、創業的人生を選択した時から、悪くいえば「自己中心」の生き方に
徹してきた。大部分の人が、何か得体の知れない模範的良い人を求め、他人の
視線を気にして日常を過ごしていた。そんなものは、転勤か、転職をすれば、
何とことはなく過ぎ去っていく事象でしかない。そして、人生の最終になり、
その妄想に気づいて慌てふためく。いや、気づきもしない人が大部分だろう。
そして、やらなかった後悔、出来なかった後悔に涙する。 以前、取上げた、
ある担任の先生が私に吐露をした、「自分には人生が無かった!両親とも教員で、
自分も教員を半ば強制的に歩んできた。定年になった現在も、90歳になっても
健在だが、何事も無い人生ほど詰まらないものはない!」と、かなり強い
初老性鬱病の前段階。一番身近な親たる「世間」の犠牲者である。
  〜まえがき〜より
≪ 「俺はどんな女も口説き落とせる」と豪語する男がいました。ところが
 彼は、ある女性から肘鉄を食らった。「きみも失敗することがあるんだね」
と言う友人に、彼はこう言いました。「なあに、あれは女じゃなかった」
 こういう人を世間では「自己中心」と呼ぶようです。
では、「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」
だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。
無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。
 子どものころから、わたしたちは、

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05月25日(木)
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