ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5915,『しあわせ仮説』 ー12  〜 「純粋な悪」を、私の中にみる
            『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * 「純粋な悪」を、私の中にみる
 「純粋な悪」を自分にみると、どうだろう。それぞれ人によって違うが、
この切口から、自分の姿がクリアーに見えてくる。
・せっかく頂いた平均80年の人生。奇跡的偶然の積重ねの結果の私は、
「どこかの星から地球への宇宙旅行に来ている」という仮説をたてると、
何かヒントが見えてくる。ならば、地球自らがつくった大自然の美に感動し、
人間が営々としてつくりあげた文化・文明の魂に触れる。前に立ちふさがる、
18歳までに植付けられた周囲からの先入観からの脱皮を一生かけて続け、
自然と人間がつくり上げた光に感動、感激し、追い求める生き方。それさえ
知らない、「素朴な実在主義者」の心のありようが、私にとって「純粋な悪」。
それと世間様の共同幻想の「世間的常識」。
・「和して同じず」で、群れたがる人間の習性。群れこそ、生物の生きる
ための習性であるが、反面、独り死んでいくしかないのも人間。
<同じ石(人間)、少し遠目でみれば砂利じゃないか> がある。
所詮、人間など狂ってしまったサル。何をしようが、考えようが、同じじゃ
ないか?と考えていた。ところが、生きてみて、同じでないことを肌身に
沁みるほど実感をした。少しでも広く深く知りえたか、大自然の神秘に触れて
感動したこそが、帰りの宇宙船に持っていけること。
 群れてないで、少しは狂ってみたら! もう遅い? いや、垂直(永遠に
繋がる感動)に立つことは今でも出来ること。 まだ遅くないのが分かる。
情念の最たる、感動、感激を求め、自ら近づいていけば良い。
 その切口は、「孤独」「知識」「瞑想」「狂い」…
世間からすると、私自身が「純粋な悪」そのものか。現にそうだもの。
但し、万人が、多かれ少なかれ、そうである。問題は、耐えられるかどうか。
 〜で、偶然、以下に続いていく。 ご帰還の宇宙船内で涙して、
<小猿に惑わされ、「純粋な悪」に捉われ、世界を殆ど観てこなかった>と涙。
 小猿を宇宙船に持込み、遊ぶのも良いが、持込は感動、感激、感謝の念だけ。
現実に溺れ、真実の何かから目を逸らすのも人生。 じゃあ、何か?
 人生への愛と、充実感。 自分をさて置いて、他人の生き方に、あれこれ
いうことはない!  小猿が、元気で頭の中を飛び回っている。

・・・・・・
5550,閑話小題 〜雑念と小猿
2016年05月26日(木)
  * 雑念と小猿
 SJのスタジオ・ヨガ教室に参加して、はや4年3ヶ月になる。
前半の二年は、週2回、後半は週3〜4回、参加しているが、既に
生活習慣の一つで、足腰のセルフ・マッサージにもなっている。
それにしても、50人の集団が一同に会したヨガは、その人数分、
気が集まり、少し疲弊した気を強くする働きがあるような。 
イスラムのドームには、それがあるのでは?
ヨガの目的は、瞑想をしている時の身体と呼吸を整えること。
そこには、どうしても(気という)小猿が、彼方此方に飛び回る。ジムのの
ヨガで、インストラクターが、時どきヨガや瞑想の本質について譬え話をする。 
『内側から次々に出てくる雑念は、自分の身に取り付いた小猿(気)の先。
惑わされないよう、自らを律してください!』という。成るほど、小猿は、
彼方此方飛び回り、ジッとすることなく遊びまわる。思い浮ぶ雑念とは、
小猿(気)が遊び回った先でしかない。猿に惑わされ、本来の自分を
冷静に見つめることが出来ぬまま一生を終えるのが人の常。 
 世には、小猿なら未だしも、大猿になって飼主を支配しているのが多い。
その大猿の群れが、彼方此方で猿芝居をしているのが娑婆世界。
猿は愛嬌があるが、服を着た猿どもは、どうもこうも!
 それより、猿にひかれた私?、貴方?  お後が宜しい様で。
  〜いつもの偶然だが、3年前にヨガについて書いていた。
――――
4453, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー1
2013年05月26日(日)
 スポーツジムのヨガに週二回参加して15ヶ月になるが、家ではやらない。

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05月26日(金)
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