ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5789,閑話小題 米国新大統領就任
ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の
固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。
仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と
苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。
例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、
自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる
ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが
まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の
満足感をもたらしてくれると期待している。
悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。
にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人
は、物事の本質をまったく気づかないまま、突然に向きを変えてみたりしながら、
ただ闇雲に幸福を追求しようとする。耐え難い心身の苦痛にけりをつけようと
して自殺する人は、ただ幸福を求めて破れかぶれの行為に及んだだけである。
こうした根本的な無知からどうしたら抜け出せるだろうか。
唯一の方法は、誠実に真剣に心の内側を熟視することである。
この内観には、分析と瞑想の二つの方法がある。分析とは、自分の苦しみと
自分が他者にもたらした苦しみを、あらゆる角度から明確かつ整然と評価する
ことであり、どの考え、言葉、行為によって痛みが生じたか、反対に精神的
健全性がもたらされたか、を理解する作業を伴う。手始めとして、自分の在り様
と自分の行為に何らかの問題がないか、ということを探求し、続いて、自己変革
への燃えるような願望を抱くことが望ましい。
瞑想的アプローチでは、混乱した思考に飲み込まれない状態をほんの少しの間
保ち、心の奥底にある願望の正体を見つけるために、心の内側にひろがる景色を
静かに眺める、という作業をする。人によって瞑想は、快楽の醍醐味を一つ一つ
味わいながら、一瞬一瞬を激しく生きる生き方に繋がることがある。
あるいは、家族、社会的成功、レジャー、またはささやかながら苦しみない
人生、等の目標達成の手段にする場合もある。残念ながら、こうした願望達成
の瞑想はどれも未完成に終る。≫
▼ 行蔵を取り出し、支点を変え眺め直すと、その時点では思いもよらない
気づきがある。それぞれの場面で、知っている範囲でしか、理解できない
のである。そう、それは現時点の私にも、他者にもいえる。独りになりきり、
分析と瞑想こそ、最も重要になる。〜また偶然だが、以下の内容が丁度良い!
この年齢になって、何にも分かってない自分に、毎朝、気づくのも辛いもの!
・・・・・・
5059,花嫁への3つの母の教え 〜@
2015年01月20日(火)
【本日「いいかげん」日和 〜楽しく生きる一日一話】
ひろさちや(著)
これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
< 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。
幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、
笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。
わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。
ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を
楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと
「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは
ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」
につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。
極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。
それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に
もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)>
* 花嫁への3つの母の教え
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01月20日(金)
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