ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5788,閑話小題 〜つれづれに大相撲 A

  * つれづれに大相撲 〜A
 20年、NHK大相撲の解説をしている「北の富士」が、心臓病の手術で今場所
は休んでいる。スキャンダル塗れの現役時代だったが、解説者としてははまり役。
以前、「神風」という元力士の解説は、歯切れが切れて、相撲ファンを楽しま
せてくれていた。途中から「玉ノ海」と交互に出ていたが、何時の間にか消えて
しまった。相撲解説としては、「神風」の右に出る人はいない。
 ラジオ放送を含めて65年以上も相撲を趣味としていた者にとって、半端な解説
は耳障りである。 横綱をはった「大乃国」や「北の富士」と「舞の海」とでは
一言一言の滲み出る実感の重みが違う。 その中で、舞の海が堂々と持論を披露
するには、余程の苦労をしているのだろう。解説者は、まず自分が好角家で、
その楽しみを、視聴者に伝えるのが第一歩。論理力のない人の解説は、聞く
方も大変。 中でも「高見盛」の解説が劣悪。愚直が売りの力士だったが…
 白鵬最盛時代が終り、
・これまで目立たなかった地味なモンゴル人が台頭を始め、
・怪我などで出遅れた「逸ノ城」「照ノ富士」のグループと、
・学生相撲出身の「遠藤」「正代」「御嶽海」「北勝富士」「小柳」の若いが
 相撲センスがある新興グループ。新鮮なチビッ子力士は、あくまでアナザー。
 地元出身の「小柳」は、あと1年後の力士。目先の期待はしない方が良い。
・そして、潜在能力が燻っている元期待された力士たち。
大相撲、のめり込まないで適当に観ている分には面白い。

・・・・・・
5422,人生で最も大切な技術 ーE
2016年01月19日(火)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福に関する名言 〜現実と洞察
 現実と同察の間には、必ず差異がある。その差異で間違いを起こして、
それを埋めていく過程が人生だが、その差異が、ますます大きくなった結果、
不幸が現れ出る。恋愛など無明同士の儚い感情の結果は、ご覧のとおり。

≪ 現実とは何か。仏教では、現実とは、物事のあるがままの姿のことを言う。
 人間の心は、いろいろな層が重なりあい、絡まりあって構成されているが、
そうした心の構成に修正されないあるがままの状態を指している。
表面に見えているものと、あるがままの本当の姿との間にギャップがあれば、
人間はこの世と永遠に対立し続けることになる。タゴール〔インドの思想家〕
は、「自分たちが世界を誤って見ておいて、世界が自分たちを裏切る、と嘆く」
と書いているが、人間はとかく、つかの間の儚いものを永久不変と勘違いして、
苦しみの原因である富、権力、名誉、快楽へのあくなき欲望を、幸福の目的と
受け取ってしまう。知識というと、大量の情報を手にすることとか、学問に
秀でることと考えがちだが、真実は、物事のあるがままの姿を理解すること
なのである。私たちは、表に現れている仮の姿を、そのものに本来備わった
性質をもった、何ものにも依存せずに独立して存在するもの、と勘違いする
悪習からなかなか抜け出ることができない。何が「善」で何が「悪」かを
日常の経験から判断するし、その善悪を区別する「私」についても同じように
具体的な実体ある存在と考えてしまう。 仏教では、この誤解を「無知
(または無明)」と呼ぶ。無知は、苦しみを導く根源である執着と嫌悪を
強力に反映している。エテイ・ヒレスムは、簡潔な表現でこう述べている。
「そのような大障害は、常に仮の姿に過ぎず、現実の姿ではない」。
無知と苦しみの世界は、サンスクリット語でサンサーラ(輪廻転生)、
すなわち、存在の本来の姿ではないものを真実の姿と妄想する、
人間の誤った見方から起こる心の世界のことである。
 目に見える外面的世界は無常に変化する無限の原因と条件が絡まり
あって構成されている。例えば、太陽が雨のカーテンを横切って輝くときに
虹が出るのを考えてみよう。その虹を作りだす要因の一つでも消滅すれば虹は
見えなくなる。いかなる現象も原理はそれと同じで、独立した固有のものは

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01月19日(木)
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