ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5703,つれづれに哲学 〜限界状況
19C末に亡くなったニーチェの思索が「現代哲学」の土台になっている。
第二次大戦後、サルトルとともに広まっていった実存哲学は哲学を超えた
流行現象になった。レヴィ・ストロースが文化人類学の領域から構造主義を
提起した。これは西洋哲学を根底から揺るがすものだった。社会学を学ぶもの
にとっては、構造主義とポスト構造主義を明確に把握する必要があるため、
ここで取り上げることにした。考えてみれば、社会学とは社会構造と、構成
要素の人間を解明すること。 〜その辺りから〜
≪ 私たちは、自分の意思を伝えるのに日本語という言語を用います。
言語には特有の文法構造があり、それに即して話さないと何も伝えられない。
つまり私たちは、日本語という言語の構造によってしゃべらされているのです。
初めて英語を学んだとき、兄も弟も「ブラザー」の一語で済ますとは、何と
おおざっぱな言語だと思いませんでしたか? これは、英語が他人をまず同胞
(家族)かどうかという観点で捉えるのに対して、日本語は目上か目下かという
観点を重視するという違いを反映しているのです。 つまり言語が異なれば、
社会構造も異なるのです。 今でこそ私たちは、時代や文化が違えば見方も
異なることを当然だと思っています。しかし、その態度は学生紛争のころなら
日和見だと自己批判を迫られたでしょうし、戦前の日本なら天皇をないがしろ
にする非国民だと弾劾されたかもしれません。このように自分の生きる時代の
価値観としての諸構造からは誰も自由になれないことを教えてくれたのが
「構造主義」です。構造主義は、フランスで生まれた20世紀後半を代表する
思想的潮流です。この思想は当初から、狭義の哲学とは無縁な様々な学問が
集まって展開された点に、大きな特徴があります。
構造主義の祖はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールであり、
フランスで構造主義のロ火を切ったのは文化人類学者レヴィ・ストロース。
かつて構造主義の四天王と呼ばれた人物を見てみても、精神分析学者である
ジャック・ラカン、文芸批評家のロラン・バルト、マルクス主義者のルイ・
アルチュセール、思想史家のミシェル・フーコーと、哲学者は一人もいない。
また、一口に構造主義といっても共通の見解や綱領もありません。
ただ彼らの仕事には、共通の特徴があったのです。それまでは、人間の社会的・
文化的営みを考る上で、そうした制度を創った人間が中心に置かれていました。
これに対して、彼らはその活動を根底で規定し方向づける「構造」こそ大きな
意味があると考え、その構造を様々な領域で探究したのです。
ストロースやラカンは、五〇年代からその探求を開始していましたが、
構造主義そのものが世間的に知られるようになったのは、レヴィ・ストロース
が『野生の思考』(1962年)を出版したのをきっかけに生じたサルトルとの論争
によってでした。『野生の思考』は、それまで非合理とみなされたいわゆる
未開人の神話的思考が、西洋近代の科学的思考に劣るどころか、感性的表現で
世界を組織化する「具体の科学」だと主張して、西洋近代の理性中心主義への
反省と西洋中心的発展史観の解体を促しました。ただ彼の意図は、単に西洋の
論理を相対化することでも、未開の思考を賞賛することでもなく、人類に普遍的
な論理性や心性の構造を探りだすことにありました。レヴィ・ストロースは、
その最終章でサルトルの思想が西洋近代社会の人間像だけをモデルにした理論
構築だと批判しました。西洋近代は、歴史は人間の手で自由に創造されるもので
あり、人類は幾多の困難や矛盾を乗り越えつつ進歩していくという歴史観に
基づいていました。構造主義は、そんな人間主体の全面的自由を疑ったのです。
この論争は反響をよび、実存主義から構造主義への世代交代を印象づけました。
しかし、統一的な学派でなかった構造主義は、七〇年代以降記壕論的探究や
ポスト構造主義へと拡散していくことになります。≫
▼「人々の活動を根底で規定し方向づける『構造』こそ大きな意味がある」と、
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10月26日(水)
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