ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5573,突然、余命宣告を受けました ー③
 見えてくる。 私たちは自分の顔を自分で見ることはできません。
 相手の顔は見えるけれど、自分の顔は鏡に映しても左右反対ですし、
 小さい粒子の集合体である写真がそのまま自分の顔だともいえない。
 だからあえていえば、私の表情は、あなたの表情のなかに見るしかない、
 ということになりますね。あなたの表情を見て、私の表情を推測している。
堤:相手がいてこそ、自分のことがわかる。鏡なんですね.
佐治:そこに宇宙の研究の目的があるというわけですね。繰り返しますが、
 自分のごとを知るためには、自分を包括している宇宙のことを知ること。
 それによって自分が見えてくる。それが宇宙研究の目的です。
堤:私は昔あたまでっかちな理想に燃えていて、国連で働いていたころは、
 いろいうな悪いものを排除したり、世界を転換させなければ平和はこない
 と思いこんでいました。でもジャーナリストになり、取材していくと、
 二人の人のなかにも善と悪が同じくらいあって、一つの国のなかにも
 善と悪があることに気づかされた。広く世界を見ようとするほどに、結局
 自分自身と向きあわされる。世界を通してじつは私自身のことを学ばされる。
佐治:当然ですね。それを数学の言葉でいうと、フラクタル(どんな微小な
 部分をとっても全体に相似している)構造だということになるのでしょうね。
 全体のものは自分という部分にすべて投影されているということ。世界って
 そういうふうにできているわけです。そうでなければ世界というのは物理的に
 存在しえない。木の全体像を考えれば、全部、Y字形の枝の分岐でできているで
 しょう。その分岐の仕方によって松の木になったり桜の木になったりしている。
 木をよく見ると、全体もY字形になっているし、枝も葉っぱもY字形になっている。
 つまり、全体というのは、部分のなかに投影されているというのが、数学的に
 見た世界像です。全体を見ることによって、自分がわかるということですね。≫
▼ 心の合せ鏡を持つ必要性をいっている。世界を、宇宙を合せ鏡にして、己を
 知ることだ。逆に、己を合せ鏡にして世界を見ると、歪んだ小さな自分の分が
 見えてくる。「こだまでしょうか」の、幼児の問いかけが、そうである。
 内語で、さて「遊ぼうか」と問いかけ、そう「遊ぼうか」と。
「今日は、寝てようか」といえば、「そうだ、寝てよう」と。
「俺って馬鹿か」というと、「つくづく俺って馬鹿だ」と返ってくる。
「これで良かったのかな」といえば、「今さら、仕方がない」と、ブツブツ。
・・・・・・
4843,「事業人生を決心して45年」の語り直しー17
2014年06月18日(水)
   * 二店を、経営委託に! そして、実家に
『出たいというなら、出ていけばよい!』と、私も、母と兄の意見も同じ
だったが、それでも妥協策を探したが、 事態は深刻になっていた。そして、
母、姉、兄と、私が最後の話合いをしたが、姉は頑なに出ていく、という。
姉夫婦が最後は折れてくると思っていたことを、しばらく後に、姉夫婦と行動を
伴にした社員が、「どの道、直ぐに必ず帰ってくる」と、話していたことから知る。 
姉夫婦のピークは、僅か二年で終わった! Uターンが決まると、問題は、
開店したばかりの二店の問題。そこは大手チェーン店の利点が出てくる。
養老乃滝も、ベーカリーも、「金が無いが独立した店舗運営の希望者」は
幾らもいる筈。そこで、まず、蝶理のベーカリーの担当に、「二店で80万で
経営受託する人がいないですか?」とぶつけた。すると、「自分が間接的だが
受託する!」と、話は簡単に決まった。彼が受けなくとも、両方の本部は、
希望者を直ぐに探し出した筈だが。私には渡りに舟。その後、二年もしない内に、
他の空きスペースが埋まって、ビル経営としては上出来の結果となって、五千万
投資の貸ビルが、年の家賃が千七百万までになっていた。 その五年後には、
銀行を通して一億で売り抜けた。ビル経営の視点でも、この事態がプラスに働いた。 

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06月18日(土)
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