ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383010hit]

■5574, 突然、余命宣告を受けました ー④
    『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   * 自殺願望の八割が、いざとなると
 苦しめるために生かしておくような延命治療なら、そうそうの安楽死を選択
したいが、現実は痛み止めの薬を強くすることで早めに死に導く。安楽死に
ついて、まだまだ議論が足りないようだ。 考えてみれば、人間は穏やかな
自殺か、安楽死の道を歩いている。 自分の死の決断こそ、最期に残された
人間の最大の自由の行使になる。  〜その辺りから〜
≪ 現在スイスでは安楽死が認められていますが、興味深いデータ報吉がある。
 自殺蓄助による安楽死を希望する場合、希望者の医療記録を徹底的に分析し、
生き続けていくのが困難だと判断された場合にのみ致死量の薬が処方される
そうです。しかしここからが驚くべきことなのですが、安楽死のための薬の
処方が可能と判断された患者でも、いざ安楽死可能と分かった時点で"自殺願望"
が弱まるというのです。その割合が何と八割もの人々の自殺願望が急速に冷める。
つまり、「苦しみながら死を待つ。この生き地獄から抜け出すことが可能と
分かれば、この理不尽に社会が理解さえ示してくれれば、我慢もできる」と
言っているのです。やはり、倫理観からも、宗教観から見ても、家族の手前も、
「苦痛だから死ぬ」というのは、どこかでなじめないのかもしれません。
だから、「この苦しみに、大いなる同情と、法的な権利さえくれればそれで
いい。我慢もできる」と。気持ちを分かってさえくれればー。そういうこと
なのではないのでしょうか。≫
▼「苦痛を最小に消え去りたいため、余命を告げられたら、早々、リンゲルの
 大量投与を」と思っていたが、「いざ安楽死が可能になると、八割が自殺
 願望から冷める」という事実。何だろう、これは? 
 〜ところで、私が生死に関する言葉で、気に入ってるのが、
<死ぬことは、生前の自分が存在しなかった状態に戻るだけ>
<遺伝子が私の身体を借りていただけ、それが無くなっても、数限りない
 遺伝子が、何処かの身体を通して生き延びる。「私」など他愛のない存在>
<充実した過去と現在を生きている(きた)なら、死など、恐れることはない>
<死んでしまえば、それまでよ。生きている内、できる内。>
<当人にとって、『死』は存在しない。死んだ瞬間、本人は存在しないのだから>
<宇宙の彼方から地球へ旅に来て、見るだけ見て、するだけして、帰っていく
 のが死である。> 
それにしても、辛いだろうに。

・・・・・・
5209,閑話小題 〜何気ない会話の中で
2015年06月19日(金)
   * 何気ない会話の中で
 先日、中学校の来週の同期会の幹事の打合せの会で、顔は何となく憶えて
いるが、話を1〜2度したかしないかの男が隣席に座って酒を酌み交わす
中で、私が、『以前も話をしたかもしれないが、たしか40年以上、消防隊員
になったと憶えているが・・ 』と語りかけると、次の言葉が返ってきた。
『自分は、当時の花の中卒で、地元の津上製作所に入社。同期の殆どが、
夜間高校に4年通い、高卒の資格をとって地方公務員に転職をしていった。
自分は消防署に勤め変え42年間、勤め上げた。』と、さらりと言った。
15歳で働きながら高校資格をとって地方公務員になり勤め上げるコース。
こういう人生もある。これまでの私の恵まれた?生活環境と、あまりに
掛離れた生活環境に、言葉が出なかった。地道だが、地に足のついた
恵まれた人生である。 問題は、自分の歩んできた人生を肯定できるか
どうか。消防士といえば、火事と救急救命の現場の仕事。そこでは、
様々な露出した人生模様が垣間見れる上、生き死にの瀬戸際に立ち合う。
小さな世界の安穏とした人生を根こそぎ否定してきたが、それも人生。
彼にとって、救急搬送と、消防は、生き死の境目の現場の仕事である。
何か世間とかに捉われていたのは、逆に自分ではないか? 日々、是、
目覚め。それぞれの人生を否定も、肯定もしてはならない!ということ。
数年後?には、私なりの結末(死)が待っている。 貴方もだが・・

[5]続きを読む

06月19日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る