ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5556,アメリカに見る貧困問題 ―①
・ 愉快なことを理解できない人間に、世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。
・ 人生最大の教訓は、愚かな者たちでさえ時には正しいと知ることだ。
・ 重要なポイントを突くときは、如才なくやろうとか巧妙にやろうとか
  思ってはいけない。ポイントを一突きせよ。
・ 事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えているほうが、事前に悠然と
  構えていて、事が起こった時にあわてふためくよりも、利口な場合がある。
・ 先を見すぎてはいけない。運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ。
・ 不利は一方の側にだけあるものではない。
・ 私が義務感と信念に基づいて行動している限り、いくら悪口を
  言われようと何ともない。害になるよりはむしろ益になるくらいだ。
・ 復讐ほど高価で不毛なものはない。
▼ 「運命の糸は一度に一本しかつかめない」は、合点がいく。運命的な機会は、
 一ときしか現れない。つかむには、準備が必要である。危機も、突然、怒涛の
ごとくやってくるため、十年、数十年かけた準備が必要になる。 迷ったら、
逃げ口を用意をして挑むことが人生の要諦だが、それが読めないのが人間である。
・・・・・・
4826,「事業人生を決心して45年」の語り直しー5
2014年06月01日(日)
   * 金沢百万石での経験
� 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、
実社会の経験不足はまだまだ。 それと建設期限まで二年間半の期間があった。
そこで、何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で
知られていた「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店。
入社して知ったのが、西友との資本提携。会社は大きく動揺していた真只中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、
当時の社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。その上に、
入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がりに
落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先
への新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒。
2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、
世のサラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、
よく言ったもの。何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。
 三年前の決断は、こういう経験があればこそ出来たこと。前向きで自ら
崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの踏んばりは、避けるべき!という
体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の対立などあり、疑心暗鬼の
ルツボ。当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない
震災クラスの事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパー
の進出。私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと
提携し、北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされた。
� 金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえない
ミニ京都風の味わいがある。特に、目を見張るような加賀美人が多く、表向き
は男社会。いっけん厳しそうな男女間は、大らか。私の出身地の長岡藩では、
幕末の「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。
しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、
何ともいえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した
会社内の空気から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。
しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。
� 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、
子供服売場へと配置された。 ジャスコも含めて、多くの売場配転から
学んだことは、業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。
それを業態別の再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の
販売も、商品の一つでしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、

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06月01日(水)
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