ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5433,人生で最も大切な技術 ー⑬ 純粋意識
< 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、
「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜
≪ 「心」は、三層構造である。
・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、
・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり)
・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。
― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。
たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう
違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。
こころ変わりという言葉があるでしょう。
― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な
心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」
という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を
いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、
その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を
さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が
戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら
「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて
しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。
・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。
言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍
された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め
させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。
能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという
ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍
された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの
「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。
― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも
通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と
いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、
一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫
▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い
表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、
「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、
現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、
渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で!
* また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。
・・・・・・
4704,「考える」と、「思う」の違い
2014年01月30日(木)
*「考える」と、「思う」の違い ー『散文』谷川俊太郎著より
何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。
「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を
組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝
した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。
ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、
より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には
余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう
未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として
理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を
置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、
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01月30日(土)
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