ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5282,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑤
絶するほど厳しいから、その言葉そのものが、本人にとっても「神」になる。
・・・・・・
2014年08月31日(日)
4917,「個人から分人へ」 ですか!
* 永遠の問い、「私とは何か」
平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」の久垣啓一氏の書評が解りやすい!
≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使っているindividualは、
これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。そして本当の自分なるものがあるという
考え方が間違いのもとではないか、というのがこの本の問題意識である。平野は、人間は分けること
が可能な存在であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、一人の人間は複数の分人の
ネットワークによって成り立っているという。
そして個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。
・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性となる。
・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を変えることだ。
・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。
・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を創出しようとする行為だ。
・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。
・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的になっていける。
・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。
それが許せずに自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのがストーカーだ。
・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、きめ細かなつながりを
発見させる思想である。
・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、今後重要なのは
複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。むしろ矛盾する複数のコミュイティに
参加することが大事なのだ。個人を複数の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が
開けてくる気もする。分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されている
と考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテにつながっているのではないか。≫
▼ 「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になっている。だから、
人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を増やしている自分が存在する。
創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、そこに存在している。秘境旅行で、各地に
旅をしている自分も、旅行先に溶け込んでいる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んで
いる分人を増やす行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙である。
自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも、森の生活のうちである。
・・・・・・
2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か? 〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
「狂人三歩手前」−中島 義道 (著) −読書日記
ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。成る程と合点が
いったが・・ 常に考える時、「私」は何々・・と一日、数百回も自問自答しているのに、その「私」とは
何ぞや?と考えたことがない。それを知っていると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。
ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。
ある哲学書で「私」についての説明があった。
{「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、さっきの橋を歩いていた
主観が「私」として飛び出してくる。云々}と。成る程と思いつつ、解ったようで理解できない
モヤモヤが残っていた。過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある
「いま・ここ」の主観は、まだ私になってないということ? ところが彼は、この本の中で、その「私」を
み砕いて解りやすく説明をしている。
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08月31日(月)
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