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堀井On-Line
by horii86
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■脳がよろこぶ話 ー4
脚本を書いた映画『謝罪の王様』でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が気に
なってしまうのか。 専門家は、2000年以降、謝罪会見などで経営者の土下座が見られるようになったのは、
日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。
“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。
 (NHK説明より)
 早速、プレビューを見てきました。ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマとして今世紀最高を記録したことも
あり、多くの方がご覧になったと思います。その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。
企業の不祥事などで、社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目にするようになりました。そもそも、
「土下座」という言葉に、謝罪という意味が加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しい
といえます。 中には、土下座するまでもない場面で、土下座を強要させられることもあるようです。
私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。土下座をさせると一時の
爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たようなそんな居心地の悪い気分になることも事実。
番組を通して分かってくるのは、ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座する
ことで、それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、土下座させるよりも、ことの本質を
見てそれを改善することに向かうべきではないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎
さんのこんな言葉です。「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いはありますよね」。 
ぜひ、番組をご覧ください!
▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。見ている方は、ライブで大して関係ないのに、
 直接の被害者のように怒り、呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も変だが、
見ている方も、明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、本心からでないのは、有りありと画面から
伝わってくる。大場面なのに、殆ど悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送の
話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、あの二人が再び首相と副首相で登場、
更に大きな間違いをしようとしている。元もと罪の意識もないのだから救いようがない。
選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い!
・・・・・・
4215, 開国という強迫観念 ー2
2012年10月10日(水)
                 ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思
 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か?
 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では首都圏の大學か、地方大學に分けられる。
一般的に都心の大学進学は、進歩的文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識と
教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地をつくるため。自由の立場で、世界を、
社会を、人間を見つめるための猶予期間である。しかし、最も重要なことである。  ーその部分からー
≪ 「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、自己特権化という立ち位置に
 自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心を
もっていたことは事実でしょう。彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。
では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全くそんなことはありません。・・ 戦前では天皇が頂点にあり、
戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点にやってき、その後は「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。
進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉されていった。知的商売人には、

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10月10日(金)
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