ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4927,パワレルな知性 ー5
なかったため美術館のスペースで絵を書く事が多かった。それもただで場所を提供してくれる
ところはなく、「貸してあげるが公開制作にしてくれないか」という条件が出された。
絵は本来アトリに独り籠ってかく孤独な作業なのに人前で描くということは考えても
いなかったので、果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗なく、
むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。
 それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。
人前で描くことは確かにプレッシャーになったり、ストレスの原因を生むが慣れてしまえぱ平気。
背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくるのがヒシヒシとわかる。こんな想念がぼくの
中でエネルギーに変換されてより創造的になることを発見した。
この場合の創造というのは無私になること。不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。
そう言う意味で座禅に近いのかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される場合が多い。
その点、公開創作の方が「私」意識が薄れるのである。それはは考えるということと描く
ということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが早くなり、手と心が同化して
いくのがよくわかる。だから時には一日で150号大の作品が描き上がることさえある。
観客がこちらの一挙手一投足を固唾を飲んで見ているのが体に伝わるので、思わず
手を休めるのを忘れ描き続けてしまう。このことが描きてであるぼくを解放する。
公開制作の味を占めたぽくは最近また続づけるようになった。しかもコスプレによって制作する。
公面制作で描く絵は、ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。
そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。街でよく見かける
ー幅の広いズボンにベスト着用、頭にはタオルを巻いてーとこんな風景をよく見かけるでしょう。
つまり鳶職スタイルである。他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。
最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッとした顔になって、次はケラケラ笑う。それも一瞬、
こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を打ったようになる。
 よく仮面効用というが、コスプレはまさに全身仮面になり、人格も他者になるわけだから
不思議な解放感に襲われ、その結果、実に自由な気分になるのである。
そして描く行為そのものも絵と同じように作品化されてしまう。だから観客はパフォーマンスを
鑑賞することになる。制作の休憩時間に美術館のレストランにこの格好で入っていくと、
まずお客は場違いなものを目にしたわけだから、なんとも当惑した顔をする。
われわれに向ける視線には明らかな拒否反応の色が見える。「作業着のままでよく、
ソフィスティケイトされた美術館のレストランに入ってくるわね」という視線を投げてくると同時に
「レストランの人たちは何もいわないのか」と。ぽくがコスプレしていることがわからないのだけど。
そんな反応をぼくは実は楽しんでいるのである。これも仮面の効用で、普段体験できない
経験にほくは悦に入っているというわけだ。》
▼ それは、自分自身にも人間そのものにも当てはまる。両親合作の心身を「魂らしい自分の芯」
が、コスプレ? としての自分を見つめ続けている。さすがに横尾忠則である。描き手の目線を、
その環境の一人として、まず服装から当事者になってしまう。そして観客も、
その場の一人として引き込んで、作家のイメージの世界に誘導する。
・・・・・・・・
4185, 呪いの時代 ー4
2012年09月10日(月)
             「呪いの時代」内田樹著
  * 脊髄反射的その場のつくろい       ー 第3章 「後手」に回る日本 ーより
 島国の閉鎖的社会では、問題を荒立てないために「その場のつくろい」も必要である。
しかし、情報化社会では、それは許されるものではない。現在の日本の政治は、毎年、首相を交換させることで、
その場のつくろいをしているに過ぎない。それを国民が求めているから首相は、問題解決の痛みを敢えて

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09月10日(水)
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