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On the Production
by 井口健二
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■マタインディオス、戦争と女の顔、女神の継承、神々の山嶺
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※このページでは、試写で観せてもらった映画の中から、※
※僕に書く事があると思う作品を選んで紹介しています。※
※なお、文中物語に関る部分は伏字にしておきますので、※
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『マタインディオス、聖なる村』“Mataindios”
2016年にペルー文化庁主催の長編映画企画コンペティション
で入賞し、現地ではシネ・レヒオナル(地域映画)と呼ばれる
形態で映画化。2018年リマ映画祭に出品されてベストペルー
映画に選出されたという作品。
物語は鍵穴から外を覗く映像で始まる。その外側には村人が
集まっており、彼らは苦労の末に鍵を開けて、現地ではマタ
インディオスと呼ばれるイエス・キリストの12使徒の一人、
大ヤコブを祭るお堂に入ってくる。そんな彼らは深い悲しみ
に捉われているようだ。
そして彼らは花や羊毛で紡いだマントを村の守護聖人とされ
るマタインディオスに捧げ、祭礼を執り行おうとするが…。
それが白人司祭の説くカトリックとの確執を生む。アンデス
山脈の山岳地帯に位置する集落を舞台に、伝統的な信仰と現
代信仰との狭間に揺れる村人たちの姿が描かれる。
伝統的といってもスペイン人に持ち込まれたキリスト教であ
り、僕らの目には変わりないように思えるが、より呪術的と
いうか原初的な宗教観のようだ。そんな宗教の違いも描かれ
るが、それよりも重要な映画のポイントは、村人たちが捉わ
れている悲しみの原因だろう。
それは祭礼の中で1987年7月24日という同じ日付の記された
2つの十字架と「銃声がした」という台詞によって示されて
いるものだが、この年号はアルベルト・フジモリが大統領に
なる直前のペルー経済がどん底だった時代のものだ。つまり
その時代に起きた事件が背景のようだ。
しかし物語はその悲劇を詳細には語らず、最後は村の子ども
たちのはじけたような行動で締め括られる。そこには過去に
捉われない子供たちの未来が描かれているようにも見える。
そしてそれを鍵穴から見つめているのは、守護聖人マタイン
ディオスなのだろうか。
脚本と監督を共同で手掛けたのは、共にペルー国立演劇高等
学校卒でペルー国立サン・マルコス大学で学んだオスカル・
サンチェス・サルダニャとロベルト・フルカ・モッタ。因に
オスカル監督は、2019年7月14日題名紹介『サタンタンゴ』
などのタル・ベーラ監督を手本に本作を制作したそうだ。
その割には本作の上映時間は77分と短いが…。また作中での
司祭役はペルーのテレビで活動するカルロス・ソラノという
俳優が演じている。
公開は6月18日より、東京は渋谷シアター・イメージフォー
ラム他で全国順次上映となる。
『戦争と女の顔』“Дылда/Dylda”
ウクライナ生まれで2015年のノーベル文学賞受賞者スヴェト
ラーナ・アレクシエーヴィチが、1985年に発表したノンフィ
クション『戦争は女の顔をしていない』から想を得て映画化
された2019年製作のロシア映画。
最初に登場するのは軍病院で働く周囲からディルダ=のっぽ
と呼ばれる女性イーヤ。実際に周囲の女性たちより頭ふたつ
飛び出る長身の女優が演じている。時は1945年秋、所は当時
のレニングラード。彼女は幼い男の子を育てているが、時折
PTSDの発作で身体が硬直する。
もう一人登場するのは、激戦地から復員してきたマーシャ。
彼女とイーヤは元戦友だったが、彼女もまた身体に深い傷を
負っていた。そんな二人は共同生活を始め、マーシャも軍病
院で働き出す。その病院では意識は明瞭だが首から下が麻痺
した傷病兵など、様々な戦後の悲劇が描かれる。
そしてマーシャはイーヤと病院長の秘密を目撃する。
出演は、共にロシア演劇芸術アカデミー出身のヴィクトリア
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05月22日(日)
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