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On the Production
by 井口健二
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■第193回(訃報,Pride and Prejudice and Zombies,A.I.P.,Doc Savage: The Man of Bronze,Ice Station Zebra)
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※このページは、SF/ファンタシー系の作品を中心に、※
※僕が気になった映画の情報を掲載しています。    ※
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 今回は訃報から。
 1963年の『アルゴ探検隊の大冒険』や1981年の『タイタン
の戦い』など、ダイナメーションと呼ばれる特撮映画で有名
だったレイ・ハリーハウゼンが5月7日にロンドンの自宅で
亡くなられた。
 ハリーハウゼンは、1920年6月29日アメリカ・ロサンゼル
スの生まれ。1933年の『キング・コング』に感激して、その
表現技術であるストップモーション・アニメーターを志す。
そしてジョージ・パルの許で研鑽の後、1949年の『猿人ジョ
ー・ヤング』に事実上の撮影監督として参加。さらに1953年
の『原子怪獣現る』を皮切りに次々にストップモーション・
アニメーションによる怪獣映画を発表する。
 また1958年『シンドバッド七回目の航海』では、ストップ
モーション・アニメーションの怪獣と人間の俳優が共演する
ダイナメーションの技術を完成させ、幾多の名作を生み出し
て行く。因にこの技術では、アニメーションの撮影中にライ
トの熱で人形が加熱され、色温度が変化するのをフィルター
などで補正しており、これにより色変動の少ない見事な映像
が実現されているものだ。
 この業績により、1992年にアカデミー賞技術部門の特別賞
を受賞。プレゼンターには『原子怪獣現る』の原作者で、ハ
リーハウゼンとは高校時代からの親友だったSF作家のレイ
・ブラッドベリが登壇して、オスカー像が手渡された。
 そのハリーハウゼンの晩年は、『タイタンの戦い』以降は
新しい作品を発表することもなく、家族と共にイギリス・ロ
ンドンに居住していた。
 そこには訪問客も多かったようで、その中では2005年9月
紹介『コープスブライド』をロンドンで撮影していたティム
・バートンとジョニー・デップが訪ねて歓談し、後日にハリ
ーハウゼンがスタジオを訪ねて来て現場のアニメーターたち
を感激させた話や、2010年4月紹介『タイタンの戦い』のリ
メイクを担当したルイ・ルティリエ監督が面会して「好きな
ようにやりなさい」と励まされた話などが伝わっていた。
 これらの話はそれぞれの監督らの来日記者会見で語られた
ものだが、いずれも師匠のように慕われているハリーハウゼ
ンの人柄が感じられたものだ。
 そして今回の訃報は、5月7日に遺族が公式のfacebookに
発表したものだが、その直後からスティーヴン・スピルバー
グやジョン・ラセターなど世界中の弟子を自称する映画人に
よる追悼の書き込みが殺到し、アメリカの芸能紙などではそ
れらの紹介だけでかなりの紙面が費やされていた。
 VFXがディジタルの時代になって、アナログの極致とも
言えるダイナメーションは過去のものとなっているが、観客
が驚く映像を観せたいというハリーハウゼンの精神は今も確
実に受け継がれている。そんな作品がこれからも世界中に残
された彼の弟子たちによって作られて行くことだろう。
        *         *
 製作ニュースはこの話題から。昨年8月紹介『リンカーン
/秘密の書』の原案、脚本、製作総指揮を務めたセス・グレ
アム=スミスが2009年発表した小説“Pride and Prejudice
and Zombies”の映画化がようやく動き出しそうだ。
 この原作は、19世紀イギリスの女流作家ジェーン・オース
ティンが1813年発表し、1995年や2005年にも映画化された小
説『高慢と偏見』のオリジナルの文章をそのまま活かして、
そこにゾンビの要素を挿入したというもの。2つの文章が混
ぜられていることからmash-upと呼ばれるジャンルの代表と
もされる作品だ。
 その作品の映画化が進められているものだが、実は計画は
数年前から昨年12月紹介『世界にひとつのプレイブック』な
どのデイヴィッド・O・ラッセル監督と、ナタリー・ポート
マンの主演で進められていた。ところが自分で脚本も執筆す

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05月16日(木)
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