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On the Production
by 井口健二
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■ヒマラヤ、復讐捜査線、リメンバー・ミー、あぜみちジャンピンッ、幸せのパズル、赤い珊瑚礁、ワン・ヴォイス+Rendezvous With Rama
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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。なお、文中※
※物語に関る部分は伏せ字にしておきますので、読まれる※
※方は左クリックドラッグで反転してください。 ※
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『ヒマラヤ』“Nanga Parbat”
1970年ヒマラヤ山脈のナンガ・パルバート登頂を目指すドイ
ツ隊に参加し、その南面に聳える世界最大の標高差4800mを
持つ難壁ルパール壁の初登攀に成功したラインホルト・メス
ナーの実話に基づくドイツ製作の山岳映画。
ラインホルトとギュンターは本当に仲の良い兄弟。頭の中で
常に登山を考えている2人は幼少から競い合って壁を登り、
登山の夢を語り合っていた。その2人が目標としていたのは
遠くヒマラヤ山脈に聳えるナンガ・パルバート。
孤峰であることから「裸の山」、あるいは「運命の山」、さ
らには「人食い山」とも呼ばれるその山は、すでに1953年に
カール・マリア・ヘルリヒコッファー率いる遠征隊が初登頂
に成功するものの、幾多の事情からヘルリヒコッファーはそ
の後も挑戦を続けていた。
そして1962年には西側からの第二登に成功。さらに1970年、
南側の最難壁ルパール壁からの初登攀と登頂が試みられるこ
とになり、そこに当時若手の登山家として名声の挙がってい
たメスナー兄弟が招かれたのだ。
こうして幼い頃からの夢だったナンガ・パルバート登頂を目
指すことになった兄弟は他の隊員の登山家たちと共にベース
キャンプを出発、1970年6月26日に第4キャンプまで進出す
るが、そこで天候の悪化により足止めされてしまう。
やがて食料も尽きかけ登攀か退却かの決断が迫られたとき、
ラインホルトは天候が回復するなら4人で登攀、悪天候が続
くなら自分1人で登攀することをベースキャンプの隊長に提
案、隊長は回復なら青の信号弾、悪化なら赤の信号弾を上げ
ると約束する。
そしてその夜、打ち上げられた信号弾は赤だったが…。結局
メスナーは初登攀と登頂には成功するが悲劇も起こり、信号
弾の是非やメスナーの行動を巡ってヘルリヒコッファーとメ
スナーは長く裁判を争うことになる。
今回の映画化は、メスナー本人から1993年『スターリングラ
ード』などのドイツの名匠ヨゼフ・フィルスマイヤー監督に
企画が提案されたもので、2004年の提案から約4年の歳月を
掛けて実現されている。
その原作は、メスナー著の『裸の山/ナンガ・パルバート』
となっているが、監督はメスナーが直後に執筆し裁判で出版
が差し止められた“Die Rote Rakete”(赤い信号弾)にも
目を通して脚本を書いているそうだ。
そして撮影には現地主義が貫かれ、メスナー兄弟が育った南
チロルから、パキスタンに所属するナンガ・パルバートには
3度の撮影隊が派遣され、標高5000mの場所からの撮影やヘ
リコプターによる空撮などで登山の全貌が描かれた。
出演は舞台俳優が中心のようだが、中でヘルリヒコッファー
役には2006年『ヒトラーの贋札』や4月紹介『アンノウン』
にも出演のカール・マルコヴィクスが扮している。
昨年1月紹介『アイガー北壁』は登攀シーンの撮影のほぼ全
編を冷凍倉庫の中で行うという、これも映画製作としては画
期的なものだったが、本作は現地主義、しかもプロの登山家
でも難渋すると言われる山での撮影が絶対的な効果を生んで
いる作品だ。
『復讐捜査線』“Edge of Darkness”
ユダヤ人に対する問題発言などで映画界を干されていたメル
・ギブスンが、2002年公開の『サイン』以来、9年ぶりの映
画主演復帰を果たした2010年の作品。
主人公は、ボストン市警の殺人課に勤務するベテラン刑事の
トーマス・クレイヴン。彼の妻はすでに亡く、その日は大学
を卒業してワシントンD.C.の企業で研修生として働いてい
た一人娘の帰省を駅に出迎えていた。
しかし激しい雨の中を帰宅した娘は体調が悪いようで嘔吐を
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06月26日(日)
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