ID:47635
On the Production
by 井口健二
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■今日という日が最後なら、カスピアン王子、イントゥ・ザ・ワイルド、落下の王国、スピード・レーサー、8½、帰らない日々、BUG
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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※
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『今日という日が最後なら、』
1983年鹿児島生まれ、アメリカの高校在学(留学?)中に短編
映画で現地の映画祭で優秀賞を受賞、帰国後に慶應大学に入
学、さらにテレビのオーディション番組でグランプリを受賞
したという女性カメラマン=柳明菜による初脚本監督作品。
八丈島を舞台に、島興しの祭り開催に尽力する女性と、彼女
が生き別れた母親、及び母親に連れられて行った双子の姉妹
との交流が描かれる。
20年前、八丈島で1組の双子が生まれた。舞子と聖子。しか
しその後に母親は島から出て行くことになり、そのとき母親
は聖子だけを連れ、身体の弱かった舞子は島の祖母の許に残
された。そして2人が成長した今、舞子は島興しの祭りの準
備をしていたが…
その祭りの日も近づいたある日のこと、舞子は「今日という
日が最後なら、何をしたいか考えました」という書き置きを
残して島を出て行く。その舞子が向かった先は東京、そして
聖子の住む家を捜し出した彼女は、聖子に島に来ることを誘
う。
まあ、いろいろとお話はあるのだが、全体的には多少の幼さ
は感じられる。でも、監督がカメラマンという特性は活かさ
れている感じで、特に八丈島の風景を写した映像は感性が感
じられるものだった。
ただし物語の展開では、祭りに関しての島民たちの対立の理
由がよく判らないし、それが解消される経緯も不明瞭だ。特
に、予算、予算と言っている役場が、母親の登場だけで簡単
に覆ってしまうはもどうかと思ってしまう展開だ。
その他の島民も、ただ「そんなこと出来ない」と言っている
ばかりで、その理由付けが不明確だし、さらにそれが、いと
も簡単に覆るのだから、観ていて狐に摘まれたような感じも
した。
これは、例えば舞子がいない間に嵐が来て、それまでの準備
がご破算になったとか、何か理由をつけて、そこから立て直
すまでの経緯は考えられそうなものだが…もう少し脚本を練
って欲しかったという感じはしたものだ。
でもまあ、多少幼くても何か許せるような、そんな雰囲気は
感じられる作品だった。
出演は、聖子役が、『ブラブラバンバン』などの森口彩乃、
他に『スカイハイ2』の本多章一、さらに藤谷文子など。ま
た、舞子役を演じている柳裕美は、監督の妹で映画初出演だ
そうだが、島生まれという感じの野性味もあってなかなか面
白かった。
なお、本作は慶應大学150周年記念認定作品となっている。
『ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛』
“The Chronicles of Narnia: Prince Caspian”
C・S・ルイス原作の映画化第2作。『第1章:ライオンと
魔女』での冒険から帰還した4人の子供たちが再びナルニア
国を訪れる。しかしそこでは1300年の歳月が流れ、彼らが統
治していた王国は荒廃し、ドワーフ達は姿を消し、森は歌を
忘れていた。
そしてナルニア国の近隣には、新たに人間たちの王国が築か
れていた。その王国に1人の男児が生まれるところから物語
は始まる。その男児は王国の継承者であるカスピアン王子の
叔父の子供であったが、その誕生によってカスピアンは窮地
に陥ることになる。
つまり母親が王家の血筋を引くその男児は、王位継承者順位
の第2位となり、これで王子が亡き者となれば、叔父が実質
的に王国を支配できるのだ。そして直ちに陰謀の動き始めた
王宮から辛くも脱出した王子は、謎に満ちたナルニアの森へ
と逃れるが…
『ライオンと魔女』の子供たちはまだ幼くて、物語も純粋に
冒険に満ちたものだったが、本作では一度は国を統治した経
験も持つ子供たちがその知識の上に立って、なおかつ困難に
見舞われることになる。
それは、一面では大人の愚かさにも通じるところがあって、
第1作とは違った意味での深い物語が描かれているものだ。
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05月18日(日)
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