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On the Production
by 井口健二
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■キング/罪の王、アタゴオルは猫の森、人生は奇跡の詩、シャギー・ドッグ、スキャナー・ダークリー、オーロラ、ライアンを探せ!
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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※
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『キング/罪の王』“The King”
ハリー・ベリーにオスカーをもたらし、自らも脚本賞の候補
となった『チョコレート』のミロ・アディカの脚本を、『天
国の口、終りの楽園。』などのガエル・ガルシア・ベルナル
主演で映画化した作品。監督は、ドキュメンタリー出身のジ
ェームズ・マーシュ。
脚本家は前作と同様、本作でもアメリカの抱える問題という
か、社会の矛盾を鋭くえぐり出して見せる。前作も本作も、
物語の背景は特殊なシチュエーションではあるけれど、その
本質は、ある意味普遍的な人間の愛憎を描いたものだ。
映画の冒頭で、主人公は海軍を退役する。水兵だった彼は、
支給されていたM−1ライフルやセイラーのユニフォームを
バッグに詰めてバスに乗り込み、テキサスのとある町を目指
す。そこでは、1人の牧師が熱狂的な信者の前で説話を繰り
広げていた。
主人公の目的はただ一つ、その牧師に家族として認めてもら
うこと。彼の母親は、その牧師の精を受け彼を身籠もったの
だ。しかし、主人公の話から事実を悟った牧師は、彼を冷た
く拒絶する。それは現在の家族を守るためだったが…。そし
て、その仕打ちに主人公は…
Kingという単語を王様の意味で使うときは冠詞は付けないも
のだ。だから“The King”という原題は、ただの王様を指す
のではない。それはthe King of Kingsの意味とも取れる。
つまりキリスト教では全能の神のことだ。
物語の全体は復讐劇だが、主人公は恐らく最初から全てを計
画的に行ったものではないだろう。しかし、ある時点からは
明らかに全てを見通して行動を起して行く。だから、邦題の
『罪の王』というのも、その意味では的を突いたものだ。
牧師とその家族のシーンでは、ロック音楽まで演奏される最
近のアメリカの宗教の様子が描かれる。また、ダーウィン進
化論を否定するインテリジェント・デザインの理論なども紹
介される。そしてその牧師の取る行動の非情さなども克明に
描かれて行く。
映画の全体には聖書からの引用や暗喩の様なものも随所に見
られ、作品はキリスト教へのかなり強烈な批判のようにも取
れる。しかもそれが極めて巧みに描かれている。実際、平穏
な描写の中に点描的に描かれる事の異常さが見事な効果を出
している。
主人公の行動は、本来なら嫌悪すべきものだろう。しかし、
余りに強烈な物語に、その全てが吹き飛んでしまうような作
品でもある。特に、ガルシア・ベルナルの巧みな演技が、甘
いマスクとは裏腹な非情さを浮き彫りにして行く。
因に、物語の舞台となる町の名前は、コープス・クリスティ
(キリストの死体=キリストが生きた証の意味だそうだ)。
町は実在し、映画は現地で撮影されている。
『アタゴオルは猫の森』
漫画家のますむらひろしが、1976年から書き続けている猫の
ヒデヨシを主人公にした漫画シリーズのアニメーション化。
ピクサーやドリームワークス・アニメーションなどの海外作
品ではおなじみの3D−CGアニメーションだが、日本では
初の長編作品とのことだ。そのアニメーションは、『デス・
ノート』の死神リュークなども手掛けたデジタル・フロンテ
ィアが制作している。
物語は、アタゴオルの森のお祭りの日、浮かれたヒデヨシは
湖の底から怪しい箱を引き上げ、食物が入っていないかと箱
をこじ開けてしまう。その箱にはブヨブヨした物体が入って
いたが、それは地上の支配を狙う植物の女王だった。
こうして覚醒した植物の女王は、アタゴオルの住民たちを歌
声で酔わせ、住民たちを植物に変えてしまおうとする。しか
し、食べることと遊ぶことにしか興味のないヒデヨシは、女
王の歌声にも惑わされることがない。
その一方で、女王の覚醒に合わせて植物の王・輝彦宮が誕生
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09月10日(日)
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