ID:47635
On the Production
by 井口健二
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■トンマッコル、サッド・ムービー、遙かなる時空〜、靴に恋する〜、地下鉄に乗って、地獄の変異、サイレントノイズ、ユアマイサンシャイン
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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※
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『トンマッコルへようこそ』(韓国映画)
題名のトンマッコルとは、「子供のように純粋な場所」とい
う意味のようだ。
時代は1950年。朝鮮戦争の最中、米軍は仁川に上陸し、ピョ
ンヤンに向けて侵攻を開始している。そんな中で補給路の調
査を行っていた米軍偵察機が行方不明となり、次いでその捜
索に向かった戦闘機も同じ空域で消息を絶つ。
一方、敗走を続けていた北朝鮮人民軍の兵士の一団が山岳地
帯に迷い込み、次々に遭難してついに3人だけとなった彼ら
の前に、ちょっと不思議な雰囲気を持った少女が現れる。彼
女は銃も知らないようだった。
そして、脱走した韓国軍兵士が2人。彼らもまた、山中で少
年に出会い。その案内で、とある山里に辿り着く。こうして
山里の村には、米、韓、北朝鮮の3軍の兵士が顔を揃えるこ
とになるが、その村には、一種不思議な雰囲気があった。
何しろその村には争いが存在しない。村人たちは、間違った
ことを言っても互いに穏やかにその間違いを訂正し、間違え
た方もすぐに非を認めるなど、言い争いさえ起こらない。そ
んな中で、韓国、北朝鮮の兵士たちは互いに銃を突きつけ合
うのだが…
殺伐とした現実世界の人間が桃源郷に紛れ込む。物語の形式
は、正しくジェームズ・ヒルトンの『失われた地平線』だろ
う。映画は、その舞台を朝鮮半島に代え、米、韓、北朝鮮の
3軍の兵士を主人公に描いたものだ。
韓国と北朝鮮の関係というのは、韓国映画の特殊性として常
に感じるところだが、逆に、この映画のように見事に利用さ
れると、誤解されることを承知で言えば、うらやましくも感
じてしまうところだ。
そして最後は南北の民族融和を歌い上げ、感動的な結末に繋
げて行く。結末は、こうなることが必然のものではあるが、
そこに持って行く展開の上手さがこの映画にはあるようにも
思えた。理詰めの展開という訳ではないが、確かに上手い展
開だ。
その結末は、かなりの規模のCGIも使用したもので、それ
も良くできていた。正直に言って戦闘を描く映画は好まない
が、この映画の展開には納得せざるを得ない。また、余韻と
いうか、いろいろな想像を掻き立てられる最後のワンカット
も素敵だった。
この映画の宣伝文の中に、「ポップコーンが空から降ってき
たら素敵だと思う?」というのがあるが、その通りのシーン
が作られているのも見事だった。
なお音楽を、宮崎アニメや北野作品でお馴染みの久石譲が担
当している。
『サッド・ムービー』(韓国映画)
題名通り悲しさに満ちあふれた作品。「愛は終る瞬間に一番
輝く」という観点から、4組の愛の終りを綴った作品。イギ
リス映画の『ラブ・アクチュアリー』が描いた恋の始まりに
対する結末編のような作品だ。
あざといと言ったらこんなにもあざとい作品はないだろう。
でも、それをカタログ的に見せることで、誰もがどれかを体
験しているような、そんないろいろな別れの姿が描かれる。
別れは誰かに責任のあるものではない…そんな観点で作られ
た作品とも言える。この作品には人の責任とは言えない別れ
が多く描かれている。でも、別れの当事者はそれでも責任を
感じざるを得ない。そんな悲しさが伝わってくる。
物語に登場するのは、テレビで手話通訳を務める女性と熱血
消防士、耳の不自由な女性と彼女の真の姿を描こうとする画
家の卵、自分の失恋に気付かないまま他人の恋の終りの演出
する男とその彼女、病に倒れた母親と幼い息子。
シチュエーションも様々だし、それが自分とかけ離れたもの
であっても、その中に描かれる物語には、そのどこかに自分
がいるような、そんな感じも抱かせる。その結末も、それぞ
れ予想はできてしまうが、それでもその描き方が上手い。
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08月20日(日)
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