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On the Production
by 井口健二
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■ハーブ&D、ハッシュパピー、ある浜辺の詩人、シュガー・ラッシュ、L.A.ギャングS、裸足のフラメンコ、パラノーマン、ラストスタンド
ス市警で殺人課刑事とギャング担当捜査官として10年間勤務
した後に作家に転身したというウィル・ビール。
映画の中盤に「クロード・レインズ」という台詞が有り、そ
こでの字幕は「透明人間」。これは1933年の映画の主演者が
レインズだったことによるものだが、こんなところにアメリ
カ映画の奥深さを感じてしまった。

『裸足のフラメンコ』
1936年福島県の生まれ、20代で単身スペイン・マドリッドに
渡り、フラメンコはスペイン人が踊るものという伝統や民族
の壁を感じながらもその葛藤の中で独自の表現を生み出し、
1975年に文化庁芸術最優秀賞、1980年には文化庁芸術祭大賞
に輝いた舞踏家の長嶺ヤス子を描いたドキュメンタリー。
2011年4月、東日本大震災の影響による節電で薄暗い病院に
長嶺はいた。それは直腸癌の手術のための入院であったが、
長嶺自身は、「術後は完治してまた踊れる」との医者の言葉
を聞いて「もう治ったような気分なの」と平然とした顔をし
ている。それから1ヶ月後、長嶺は踊っていた。
こんな正にあっけらかんとした長嶺の姿や生活ぶりが、85分
の映像の中に収められている。そこではもちろんフラメンコ
を踊る姿が圧巻だが、その一方で毎年個展を開いている絵画
の制作や、現在は猪苗代に家を借りて続けている犬猫の保護
活動などが描かれる。
フラメンコは、30数年前にマドリッドで生で見たことがある
が、その情熱的な舞踏は正に圧巻と呼べるものだった。その
フラメンコを踊る長嶺ヤス子の姿は映像を通じてしか見たこ
とはないが、その姿も圧巻と呼べるものだったと記憶してい
る。
従って本作にも、そんな長嶺が見られるものと思って試写を
観に行ったのだが、描かれているのは予想外の姿だった。そ
の中では、東京の家屋に犬猫を溢れさせ近隣から文句が出て
引っ越したという話などは知っていたが、そこに描かれる動
物愛護に寄せる思いは想像以上のものだったと言える。
その一方で「娘道成寺」や「鷺娘」を踊る姿は、過去に日本
舞踊で見たことのある自分としては、あえてそれを長嶺が踊
る意味が見いだせなかったが、毎年私費を投じてスペインか
ら舞踏家を招いて行うリサイタルの様子は、フラメンコに捧
げられた長嶺の人生を見せ付けられる感じがした。
企画・製作・監督は、昨年2月紹介『季節、めぐり それぞ
れの居場所』などの大宮浩一。前作は日本における介護の現
状を描いたものだったが、本作における長嶺が動物に向ける
思いにもそれに通じるところが感じられ、監督が長嶺に寄せ
る共感も理解できる作品だった。
映画の中には、ちょっと物議を醸しそうな長嶺の発言もある
が、それも正論であって、僕には理解できるものだった。

『パラノーマン』“ParaNorman”
2010年1月紹介『コララインとボタンの魔女』のスタッフが
再び挑んだ3D人形アニメーション。
物語の舞台は、300年前に魔女狩りの現場となったと言われ
る郊外の町ブライス・ホロー。
しかしその記憶は薄れ、今では魔女を売り物にしているくら
いのものだ。そんな町に住む少年ノーマンには、実は死者の
霊を見る能力が備わっていたが、それは周囲の人を不気味が
らせ、ノーマンを変人扱いさせるだけだった。
ところがその能力には、実はノーマンの一家に代々伝わるあ
る使命が伴っていた。ただしそれは一家の特定の人物にだけ
伝わるもの。しかも先代の大叔父が、ノーマンにその使命を
充分に伝えないまま死んでしまう。
このためノーマンは、毎年能力を受け継いだ者が行ってきた
魔女の呪いを鎮める儀式に失敗し、ついに300年ぶりに呪い
が復活してしまう。果たしてノーマンは魔女の呪いを鎮め、
町に平穏を取り戻すことができるのか…。
元々魔女狩りには、現代の苛めに通じるところもある訳で、
そんな魔女の実態とノーマンの境遇が重ね合わされ、単なる
伝説物語だけではない現代社会が直面している問題が描かれ
る。しかもその問題提起はかなり明確なものだ。
なお映画の製作は、作成されたキャラクターの人形をCGI

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02月10日(日)
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