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On the Production
by 井口健二
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■第23回東京国際映画祭<コンペティション部門>
イスラエルという国家が抱えるディレンマの様なものも感じ
てしまった。
でもそんな見方は間違っているのかな…、その辺がちょっと
気になる作品でもあった。

『隠れた瞳』“La mirada invisible”(アルゼンチン・フ
ランス・スペイン合作映画)
舞台は、ブエノスアイレスにある国家の英雄も多数輩出した
という名門の国立校。そして背景は、1983年3月、アルゼン
チンで6年間続いた軍事独裁政権に対する抵抗勢力の動きが
顕著になり始めた頃の物語。
1人の女性教員がその学校に赴任してくる。23歳でまだ若い
彼女は、不正を見逃さず常に正しいことをしたいと心掛けて
いた。そんな彼女に上司の主事は、「隠れた瞳」となって学
校の不正を見つけるように指示する。
その指示を真面に受けた彼女は、構内でタバコの吸殻を発見
したことを切っ掛けに、生徒の喫煙の事実を発見しようと考
える。それは構内の見回りから始めるが、やがて一番怪しい
男子生徒のトイレに潜むことになる。
ところがその環境が彼女の精神にも影響を及ぼし始めて…。
授業では英雄論や戦争論が教えられ、正に軍政直中という感
じの学校。しかしそれも末期という状況が各所に歪みを生じ
始めている。そんな社会の縮図のような学校がやがて崩壊し
始める。
アルゼンチンの近世史の学ぶと言うことでは理解も生じる作
品かも知れないが、部外者にとっては結局何が言いたいのか
よく判らない作品だった。
1976年生まれのディエゴ・レルマン監督は、混沌とした社会
の中での主人公女性の成長を描いたとのことだが。確かに幼
い精神の持ち主だった女性が結末ではそれなりの成長はして
いるが、この作品の展開ではそこに特別な意味があるように
も取れなかった。

『一粒の麦』“Daca bobul nu moare”(ルーマニア・セル
ビア・オースリア合作映画)
コソヴォで売春を強いられている娘を探すルーマニア人の父
親と、ルーマニアで事故死した息子の遺体を探すセルビア人
の父親。その2人の父親がドナウ川の正規でない渡し船で出
会い、その船の船長が昔その地で起きた出来事を語り出す。
その出来事とは、ルーマニアがカトリックのウィーン王朝に
支配されていた時代のこと、正教会に帰依する住民は教会の
建設を禁止され、その法の目を潜って隣接の村に建っていた
古い木造の教会を移築しようとする。
そして数10頭の牛と人力で教会の移動が始まるのだが…。そ
の物語と並行に、不思議な乗物で遺体を探す父親の物語と、
偶然に同行した娼婦の手引きでコソヴォに向かう父親の物語
が描かれる。
それは時としてユーモラスで、また一方でかなり残酷な物語
にもなって行く。
大きな建物を曳いて行くという映像は、2002年2月に紹介し
た『シッピング・ニュース』を髣髴とさせるが、本作も同様
にユーモアと残酷さが入り混じった作品だった。題名の持つ
意味がそこにも観えてくるが、それが必要なのかどうかはや
はり悩むところだ。
特にコソヴォに向かった父親の物語の結末は、自分が子を持
つ親としては痛切にその痛みを感じてしまう。
1960年生まれのシニツァ・ドラギン監督は、普段はカメラマ
ンとして働き、長編の監督作品は3作目だそうだが、各国の
国際映画祭でも受賞歴があるとのこと。その演出は落ち着い
ていて、ベテランの味も感じられた。
宗教的な背景を持つ作品ではあるが、物語自体にはあまり宗
教臭さはなく、むしろ寓話的に扱われていた。その意味もあ
まり深く考える必要はなさそうで、その映像の美しさが楽し
める作品だった。

『小学校』“¡Primaria!”(スペイン映画)
国立大学の芸術学部で学部長を務めた人物が小学校の教師に
なったら…という、ちょっとメルヒェンなところもある学園
ドラマ。
その先生が教えるのは3年D組。クラス担任は若いが熱意の
ある女性教師で、クラスには多動症という病の子供もいて、
彼には定期的に薬を飲ませる必要がある。でもそれは同級生
の生徒たちが対応してくれる。

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10月24日(日)
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