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On the Production
by 井口健二
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■花蓮の夏、ディスタービア、コンナオトナノオンナノコ、ブレイブワン、ここに幸あり、サウスバウンド、ヒートアイランド
「許せない」に投票する人が多いのに驚いた。僕の感覚で、
この作品は「必殺仕事人」なのだが、そうは採らない人が意
外に多かったようだ。
僕自身「許せますか、彼女の選択」という宣伝コピーには、
いろいろ最悪の結末を予想したが、正直に言ってしまえば、
物語は意外なほどクールな結末だった。勿論これをクールと
採らない人が「許せない」に投票しているのだろうが。
実際、僕はこの映画のテーマが復讐一辺倒だったら嫌だなと
も思っていた。確かに物語の主要部は復讐だし、結末もそれ
に関わっているものだが、この映画はそれが全てではない。
映画の全体の流れはそれより先の社会悪との戦いをテーマに
しているものだ。復讐はその切っ掛けでしかない。
その観点で言えば、物語はかなり痛快だし、特に最後の選択
には喝采したくなったくらいのものだが…。でもまあ、いろ
いろな意見の人もいるのだろうし、許せない人には喝采も何
もないのだろう。
9/11以降のアメリカ映画で、特に社会問題を描いた作品
には何か微妙なニュアンスを感じる。それは、政府の中東政
策に対する後ろめたさであったり、被害者意識であったりい
ろいろだが、いずれにしても奥歯にものが挟まったような感
じのものだ。
その中で、ニューヨークを舞台にしたこの作品は、ある種の
その手の風潮への迎合を排したもののようにも感じられた。
そろそろ9/11を過去のものにしなければいけない、フォ
スターとジョーダン監督のそんな見識を感じたものだ。
だから僕にはこの作品が痛快に感じられたのかも知れない。
ハリウッド映画に9/11以前の面白さが戻ってきたように
も感じられた。
共演はテレンス・ハワード。他に、『タイム・アフター・タ
イム』『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』などのメアリ
ー・スティーンバージェンらが出ている。
『ここに幸あり』“Jardins en automne”
『素敵な歌と船は行く』『月曜日に乾杯』のオタール・イオ
セリアーニ監督による2006年作品。
イオセリアーニ監督の作品は、上記の2本や、もっと以前に
製作された『群盗、第七章』という作品も見ているが、今ま
で何となく性に合わないというか、評価できないでいた。
基本的に「ノンシャラン」がテーマとされる作風だが、その
無責任さというか、そんなことが今の時代に通用するのか、
というような思いのつきまとうのが、いつも違和感を感じて
しまうところだったように思える。
ところが今回は、主人公が何と政治家(大臣)。実は安倍の
無責任辞任表明のその日に試写を見るという巡り合わせで、
その皮肉さで納得してしまったという感じもしたものだ。
主人公は、何省か判らないが大臣。ところが大臣公舎の前に
はデモ隊が押し寄せており、彼は批判の矢面に立たされてい
るようだ。しかもその沈静化には、彼に全責任を負わせて辞
任させるのが一番と考えられたようで、彼は辞任の書類にサ
インさせられる。
そして、彼が大臣を辞するなり、浪費癖の妻は離婚し、彼が
元の自宅に戻ってみると、そこは見知らぬ有色人種のグルー
プに占拠されていた。家族も家も失い、それでも彼は、自由
を満喫せんとばかりに、昔の友と酒を酌み交わしたり、女の
許を訪れたりする。
大臣だった時の職務が何かも描かれていないから、辞任の理
由も不明だが、後任者もすぐに辞任してしまうようで、何と
も無責任な話が展開している。それはそれとして主人公は、
呑気にふらふらと過ごしているものだが、その割りには権力
を使って自宅の占拠者を追い出したりもしていて、政治家の
腹黒さのようなものも描かれる。
これでは「ノンシャラン」でもないものだが、監督のファン
は、それでもその部分以外に描かれる「ノンシャラン」な内
容で満足しているようだ。
監督の意図が何方にあるのかは判らないが、政治家を扱うと
結局こうなってしまうのか。現在はフランス在住だが、元々
はグルジア出身で、初期作品は母国では発表できなかったと
いう作家の政治感は、「ノンシャラン」では済まされないの
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09月20日(木)
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