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On the Production
by 井口健二
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■ミリキタニの猫、プロヴァンスの贈りもの、ブラッド、白い馬の季節、ミルコのひかり、阿波DANCE
晒され、今は見る陰もない。
そんな状況下で漢民族の政府は、荒廃した草原を仕切って遊
牧を禁止し、砂漠化を食い止めようという政策に出る。だが
羊が食べたくらいで草原が砂漠化するものではない。それは
モンゴル人遊牧民の首を絞めるだけの政策だった。
遊牧を禁止された人々は、羊などを手放した資金で街で暮ら
すしかない。しかし今まで草原で生きてきた、特に男たちに
とってそんなことは全く考えられない。それはロマンを追い
続ける男の姿でもあるが、本音は生活の変化に対する恐怖で
もあるのだろう。
そんな境遇の中で、夫婦と息子と1頭の年老いた白馬を巡っ
て物語が展開して行く。広大な荒野に建つゲル。そこに突然
登場する宣伝隊。荒野に張り巡らされた鉄条網。大型車輌が
行き来する街道。街のディスコ。様々な現実が描かれる。
一面では、漢民族が支配する中央政府の横暴を告発している
作品のようにも見える。それでも中国映画として公開されて
いるのだから、この現実は政府も認めざるを得ないというと
ころなのだろうか。
それにしても砂漠化の恐ろしさが、現実的に描かれた作品と
も言える。実は『モンゴリアン・ピンポン』のような広大な
草原を楽しみに見に行ったのだが、見せられたのは『ココシ
リ』のような荒涼とした風景だった。
ただし、物語は砂漠化を云々するだけものではなく、そんな
境遇の中でしっかりと未来を見据えて行こうというモンゴル
人へのメッセージも込められているものだそうだ。
監督は、父親役も演じるニンツァイ。遊牧民の出身で『天上
草原』などにも出演する俳優の初監督作品。また、妻役を演
じて映画のプロデューサーも務めるナーレンホアとは、実生
活でもパートナーという関係で作られた作品のようだ。
『ミルコのひかり』“Rosso come il cielo”
1975年に法律が改正がされるまで、イタリアでは視覚障害者
は盲学校に入ることが義務づけられていたそうだ。そんな時
代を背景にした作品で、現在イタリア映画界で屈指のサウン
ドデザイナーとされるミルコ・メンカッチの実体験に基づく
物語。
主人公のミルコは、父親の猟銃で遊んでいて暴発、視力が減
退してしまう。そして法律に従ってキリスト教会が運営する
全寮制の盲学校に入れられるが、そこは伝統と規律だけが重
んじられ、盲人は電話交換士など決められた職業しか選べな
いとする場所だった。
そんな中で偶然テープレコーダーを見つけたミルコは、周囲
の音を録音して授業の課題だった季節の変化という「作文」
として提出する。しかし、世間に出るための点字を教えるこ
とが目的の授業では、その「作文」は認められない。
ところが担任の教師は、盲人で頑なな校長の方針に反発して
おり、こっそりミルコにテープレコーダーを渡してしまう。
そしてミルコの録音による物語作りが始まるが…1970年代前
半の改革の時代を背景に、視力を失いながらも自由奔放な子
供たちの素晴らしい冒険が展開される。
主人公を演じるルカ・カプリオティは健常者の子役のようだ
が、周囲の子供たちは実際に盲目の子供たちが多く演じてい
るようだ。特に主人公の親友となる少年が素晴らしかった。
また、映像的な演出では、ミルコの視力の状況を窓の歪んだ
ガラスを通した視界で表現したシーンがあり、これは健常者
にも非常に判りやすい表現で感心した。本人のアドヴァイス
もあってのことかも知れないが、健常者の観客との橋渡しを
する意味でもこういったシーンは重要に感じられた。
なお、映画は多分にメルヘンティックに描かれており、特に
盲学校の内部の様子は現実的ではないとされている。何故な
ら現実はもっと悲惨であり、この作品はそれを告発するもの
ではないからということで、その実情は想像にあまりある。
しかし映画のミルコたちは素晴らしい体験と夢を実現する。
そんな素敵に愛らしい作品だった。
因に、本作のサウンドデザインは、ミルコ・メンカッチが担
当しているものだ。
『阿波DANCE』
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07月10日(火)
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