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On the Production
by 井口健二
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■バベル、蟲師、さくらん、ママの遺したラヴソング、しゃべれども しゃべれども、主人公は僕だった、パフューム
パーシーは、仕方なく彼ら同居することになるが…元は大学
の文学部教授だったボビーと、彼の教え子で作家志望のロー
ソンというその2人は、アル中の上に落ちぶれ切った風情。
こんな3人が反目し合いながらも共同生活を続けて行く。
1968年に映画化もされたカーソン・マッカラーズの『心は孤
独な狩人』が繰り返し登場して、人の孤独についての物語が
描き出される。母親との思い出を持たないパーシーと、家族
に捨てられたボビー。そしてある理由からボビーの許を離れ
られないローソン。
現代人にとって「孤独」というのは大きな関心事かも知れな
い。周囲にどんなに多くの人がいても、心を通わすことが出
来なければ、それはいないも同然だ。そんな心に孤独を抱え
た3人が、その孤独から脱却しようともがき続ける。
1984年生まれのヨハンソンは2000年頃からこの計画に参加、
本作が初監督のシェイニー・ゲイベルと共に4年越しで映画
化に漕ぎ着けたということだ。
従って物語のパーシーは高校を不登校という設定で始まって
いるが、そこから何年か経っているであろうという展開が、
さらに物語を深くしている感じもした。正に撮影当時20歳の
彼女にピッタリの物語という感じのものだ。
一方、トラヴォルタは、初老という設定が滲み出てくるよう
な雰囲気で、これも見事に演じ込まれている。また、劇中で
ギターを弾きながらの歌声などは、“Hairspray”でミュー
ジカルに戻ってくるのが本当に楽しみになってきた。
なお映画は、ジャズ発祥の地ニューオーリンズを舞台にして
いるだけあって、いろいろな種類の音楽に彩られており、そ
れも楽しめる作品となっている。また、ちょっと自虐的に使
われる各種の文学作品の引用も面白かった。

『しゃべれども しゃべれども』
TOKIOの国分太一が、二つ目の落語家に扮する青春ドラ
マ。監督は『学校の怪談』などの平山秀幸。
主人公の今昔亭三つ葉は、古典落語しか演じず普段も和装で
通すという一徹者。しかし、前座から二つ目になって暫くが
経つが真打ちには程遠く、師匠からは未だに自分の落語が物
にできていないと言われ続けている。
そんな三つ葉が、ひょんなことから、大阪から引っ越してき
た小学生と、無愛想が身に付いてしまった若い女性と、喋り
下手の野球解説者に落語を教えることになって…
落語は、昔TBS主催で国立小劇場で開かれていた落語会に
数年通った時期もあって、そこで園生、小さん、先代正蔵、
馬生、志ん朝、円楽、談志、柳朝などが演じた古典の有名な
話はほとんど聞いた記憶がある。
だから、この映画の中で伊東四朗と国分によって演じられる
「火焔太鼓」も、確か何回か聞いているはずで、落語会を聞
きに行かなくなってずいぶんが経つが、演じられる姿を見て
いて懐かしさが込み上げてきた。
もちろんかなりの大ネタとなる噺は、全編が見られるわけで
はないが、そのツボを押さえた編集は見せ場を巧妙に繋いだ
もので、全編を知っている者にはその間の省かれた部分も浮
かんでくるような見事なものだった。なお、伊東と国分は撮
影では全編を通して演じているそうで、DVDの特典映像に
でもなったら嬉しいところだ。
一方、大阪から引っ越してきた小学生を演じる森永悠希は、
桂枝雀の芸を写すという設定で、これが見事に枝雀を再現し
てくれる。ちょっと仰け反り気味の姿勢から、顔を歪めて大
げさに演じる「まんじゅうこわい」は正に生き写しで、ちょ
っと涙も滲んでしまった。これも全編を見てみたい。
落語のことばかり書いてしまったが、物語は、喋ることを仕
事にしていながら、他人に自分の想いを伝えることには無器
用な主人公が、そのもどかしさに怒りながら徐々に成長して
行く姿が描かれる。
そしてその物語は、佃島から浅草上野、神楽坂に池袋、西新
宿と、主に東京の北側で進められ、つまり、歌舞伎町や六本
木、渋谷といった最近の東京を象徴するスポットを排除する
ことによって、本物の東京の良さを再確認させてくれるよう
な作品になっていた。

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01月31日(水)
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