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On the Production
by 井口健二
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■ブローン・アパート、再生の朝、死に行く妻との旅路、台北の朝僕は恋をする、さくらさくら、幸せの始まりは、唐山大地震+ニュース
取り出す契約も進められて、主人公の立ち会いの許、その執
行の日がやってくるが…
脚本と監督は、今年6月紹介『北京の自転車』(2000年製作)
では撮影監督を務めていたリウ・ジエ。その作品も国内上映
禁止処分になっていたものだが、元々が政府の支援を受けな
いインディペンデンス映画との関わりを続けてきた人だ。
そのリウが、2006年には監督も手掛けるようになってから、
2009年製作の本作は第2作となるものだが、2006年の作品も
『馬上の法廷』という題名で、自国の裁判制度には相当に関
心が高いようだ。
もちろん社会体制の異なる国の話ではあるが、それにしても
車2台で死刑とは行き過ぎなのは明らかだろう。ただしこれ
には裏があって、実は元々の制度では極めて高額の窃盗が対
象だったが、インフレで貨幣価値が下がっても法律が改正さ
れなかったものだ。
結局法律というのは、その制定の精神とは無関係に、運用次
第でどうにでもなってしまうものだが、この作品ではそんな
法律の矛盾も明確に描かれている。
最近日本でも、基本人権である表現の自由を制限する条令が
議会で可決されたが、いくら首長が「そんな運用はしない」
と言い張っても、その時が来れば為政者の都合のいいように
運用されるのが法律というものだ。
そして本作は、そのような状況の中で自らの使命に目覚める
主人公の姿が描かれている。この裁判官役を2008年2月紹介
『王妃の紋章』などのニー・ダー・ポンが演じ、被告役には
2006年5月紹介『ココシリ』に出演のチー・ダオが扮してい
た。

『死に行く妻との旅路』
1999年12月、保護責任者遺棄致死の罪で逮捕された男性の実
話に基づく作品。
日本が高度成長期と言われた頃の物語。北陸の七尾で小さな
縫製工場を営んでいた主人公は、友人の連帯保証人になって
いたり、海外からの安価な輸入品による自らの事業の行き詰
まりなどによって、巨額の負債を抱えてしまう。
その主人公には、彼のことを「おっさん」と呼ぶ11歳年下で
闘病中の妻がいて、一度は妻を置いて姿をくらますがやがて
金策も尽きて戻ってくる。そして唯一残された財産である空
色のワゴン車に妻を載せ、なけなしの50万円を懐に最後の旅
路をスタートさせる。
その行程は全くの無計画に姫路、鳥取砂丘、明石海峡大橋、
亀岡、三保ノ松原、山梨と巡って石川へ。その日数272日、
距離6000キロ、その旅の暮らしは厳しく、また来たる結末は
判ってはいても、ただ2人でいることそれが旅の目的の全て
だった。
その結果としての上記の罪は、それは法治国家として仕方の
ないこと、それよりも2人が2人切りでいられたこと、それ
がこの夫婦にとっての最高の幸せであり、亡くなった妻に贈
られた最高のプレゼントだったことだろう。
物語は巡った旅先でのいろいろなエピソードによって綴られ
て行くが、その一つ一つが見事な夫婦愛を描き出していた。
尊厳死という言葉は最近よく耳にするものだが、この物語ほ
どそれが見事に描かれた作品も少ないように感じられた。
出演は、三浦友和、石田ゆり子。他に西原亜希、掛田誠。ま
た、でんでん、田島令子、常田富士男らが脇を固めている。
なお、石田は撮影のために5キロ減量し、三浦は撮影の前の
約1カ月半の仕事を断って不精髭を伸ばすなどの役作りをし
ているそうだ。
監督は、2006年4月紹介『初恋』などの塙幸成。前作は実際
の事件に基づいていると言っても相当にフィクションの加え
られたものだったが、本作はまさに実話の映画化。その演出
は、前作の時もその緻密さなどに感心したものだが、本作で
もその感覚は同じだった。
因に原作は、事件の当事者である清水久典氏が執筆して、事
件の約1年後に雑誌「新潮45」に2回分載されたもの。その
後に文庫化されているが、ほとんど宣伝しなかったにも関ら
ず、くち込みだけで15万部を達成しているそうだ。

『台北の朝、僕は恋をする』“一頁台北”
今年のベルリン国際映画祭フォーラム部門で、最優秀アジア
映画賞を受賞した台湾映画。

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12月26日(日)
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