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On the Production
by 井口健二
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■光州5・18、僕の彼女はサイボーグ、パリ恋人たちの2日間、●REC、ミラクル7号、おいしいコーヒーの真実、歩いても歩いても
いうアイデアは、『ファイナル・デスティネーション』のよ
うでもあり、それをタイムトラヴェルを絡めた点はなかなか
のものに思える。
しかし、タイムトラヴェルものは常にパラドックスの危険を
孕むもので、この映画では、描かれたエピソードの1つが、
かなり問題なタイムパラドックスを起こしているように見え
た。実は、送り込まれたサイボーグが、その記憶にはないは
ずの行動をしてしまっているのだ。
これは、物語上では些細なことではあるが、それがその後も
繰り返されると、多少気にもなってしまうところだった。さ
らに監督(脚本家)は、そのパラドックスに気付いているの
かいないのか、それも気になったものだ。
そこでパラドックスに気付いているとして、この展開でも辻
褄の合うように話を再構築するとどうなるか考えてみた。
この映画では、最後に1人の女性が彼のそばに居続けたこと
になっている。であるなら、その女性が記憶をサイボーグに
植え付けたことにはできる。ただしそのためには、この物語
の中で時間の流れが何度か循環していることが必要になる。
しかも映画では、その繰り返された時間流のいくつかを横断
して物語が描かれていることにもなりそうだ。このことは、
サイボーグが自己の破壊を記憶していないことと、最後に完
全体のサイボーグが再登場することでも示唆されているよう
にも見える。
でもそこまで考えると、この物語の本質は、主人公を救う度
に歴史を修復するための危機がどんどん拡大し、それでも主
人公が勝ち続けられるか…、という解釈にもなってしまうも
ので、監督(脚本家)にそこまでの考えがあったかどうかは
疑問に感じられた。
素晴らしいアイデアが根底にあるのは確かな作品だし、一般
の観客はそれだけでOKなのかも知れないが、ここにはもう
一歩、SFの専門家の意見も取り入れて欲しかったという感
じのする作品だ。これではせっかくのアイデアが勿体無くも
感じられた。でも、どうすればこのパラドックスは解消でき
るのか、それはまだ僕も思い付いていない。
なお、映画の主題歌をリズメディア所属歌手のMISIAが
歌っており、個人的にはこの春先にこの歌を聴く機会が増え
そうだ。

『パリ、恋人たちの2日間』“2 Days in Paris”
フランス=ドイツの合作映画だが、原題は英語表記が正式の
ようだ。
フランス出身で、アメリカ映画の『ビフォア・サンセット』
や、テレビの『ER』などにも出演している女優のジュリー
・デルピーが、製作、脚本、監督、主演、編集、音楽を手掛
けた2006年作品。因にデルピーの監督は4作目で、現在5作
目を撮影中。また、歌手としてはCDも出し、ヨーロッパツ
アーも行っている。
物語は、イタリア旅行からアメリカに帰国途中のカップルが
主人公。男性はアメリカ人だが、女性はパリに実家があり、
両親が住み彼女の部屋も残されているその家に1泊すること
になっている。そしてフランス語が全く判らない男性がそこ
で遭遇する事態は…
映画は、デルピーによる英語のナレーションから始まる。や
がてパリに着いた2人は、早速フランスの醜い側面に遭遇す
るが、アメリカ人の男性も、同胞に対してあまり良いとは言
えない行動にでる。
それ以降も、フランスとアメリカのカルチャーのぶつかり合
いのような話の連続で、それがかなりシニカルなユーモアで
綴られて行く。多くの日本人はアメリカもフランスも西欧と
いうことでは一緒と思っているが、この映画を観るとそうで
ないことがよく判る。
それにしてもデルピーの視線は、自分がフランスを祖国とす
る女性なのに、フランス人や女性に対してかなり辛辣なよう
にも感じられる。しかし、その姿勢が爽快と言えるくらいに
潔くて、観ていて気持ちの良い作品になっている。
さらに、その返す刀でアメリカ人や男性にも手厳しいところ
がバランスも良く、映画全体を素敵なものにしている。ちょ
っと特殊な状況の2人ではあるし、人間的にあまり共感した

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03月16日(日)
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