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On the Production
by 井口健二
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■ヒロシマナガサキ、馬頭琴夜想曲、スピード・マスター、レッスン!、題名のない子守歌、私のちいさなピアニスト
るところもあるが、お金が掛けられているというようなもの
でもないし、逆にシンプルさの中に価値が見いだされること
にはなるのだろうが、それが特別に刮目するようなものでも
なかった。
まあ、実験的作品と言うのは評価もしにくいが、漠然と観て
いるだけならそれもいいし、とやかく言うようなものでもな
いようにも感じる。ただ、観ている間はそれなりに楽しくも
あったし、観終えた時には微笑ましくも感じられて気分は悪
くはなかった。
なお、モデルの山口さよこと鈴木清順監督が特別出演してい
て、それも取り立ててどうこう言うようなものでもないが、
お互い楽しそうに観えたのは、それはそれで良いという感じ
がしたものだ。とにかく次の長編作品の完成が早く観たい。
『スピード・マスター』
『ワイルド・スピード』『頭文字D』の対抗馬と自称する和
製ストリートレースムーヴィ。
実は、試写会で隣の席にいた人が、上映中に頻りと携帯電話
を開くので気になって仕方がなかった。その人はどうやら時
間経過を見ていたらしい。僕は映画鑑賞中にそういう他人に
迷惑の掛かるようなことはしないが、隣の人にはそれほど退
屈で時間の経つのが遅く感じられる作品だったようだ。
でも、だからと言って単純に切って捨ててしまっては身も蓋
もない。実は僕もこの紹介文をサイトに載せるかどうか、今
も迷っているのだが、この映画には、何かを始めようという
意欲が多少なりと感じられた。それでその意欲を買って敢え
て苦言を述べさせてもらう。
この作品を観て最初に感じるのは、なぜ『ワイルド・スピー
ド』の直後に、『頭文字D』を日本映画界が作れなかったの
かということに尽きると思う。
日本の警察が撮影許可を出すはずのないストリートのレース
では、『ワイルド・スピード』に勝てるはずがない。それが
山路のレースなら、それなりに誤魔化せたというものだが…
それを香港映画に撮られてしまった。
で、残る日本の不法レースシーンは埠頭ということになって
しまったようだが、元々埠頭レース自体はサーキットの真似
事だから、本物のサーキットレースの面白さに適うものでは
ないし、無理矢理作った倉庫内の爆走シーンも、所詮CGI
アニメーションでは…ということになる。
ただしこのCGIには、多分精一杯頑張ったのであろうこと
は評価したいと思うが、どんなに見事なCGIでも、そこに
つながる実写の部分が弱いと、努力は思うほどには報われな
い。その実写の部分が日本では撮影不可能だった訳だ。
でも、そこは工夫次第だとも思える。『ワイルド・スピード
3』にしても、新宿大ガードの先が道玄坂という、その馬鹿
馬鹿しさだけで観客は湧たものだ。勿論そこにはアメリカで
撮影したスタントシーンも挿入されてはいるが、CGIだけ
でも充分行けたようにも思える。
こんな展開の工夫が、この映画には欠けていたように感じら
れる。埠頭レースは、お台場から品川倉庫の辺りを想定して
いるようにも見えたが、それをもっと上手く表現できなかっ
たかと思うところだ。どうせ夜間のシーンなのだし、誤魔化
しはいろいろ出来たはずのものだ。
一方、映像が無理なら、せめてストーリーで勝負といきたい
ところだが、これが、親父が倒れて潰れかけた修理工場と、
そこに現れた元走り屋。対するは、その土地が目当ての金持
ちの息子が敵役では、いくらなんでも陳腐というか…
こんな陳腐なストーリーを映画化したいと思ったのなら仕方
がないが、『頭文字D』でなくても、レース物のマンガなら
いくらでもあると思うし、ちょっとしたマニアに聞けばいく
らでも候補は挙げてくれたと思える。そんなものを探す努力
をして欲しかった。
それにしても、元走り屋が修理工場に住み込む切っ掛けとい
うのが、その工場の娘に、屈強な男たちが暴力を振るおうと
するというものなのだが、これがいい年の男が少女に向かっ
て拳骨を振り上げるのではリアルさが感じられない。
女同士の喧嘩ならまだしも、大の男が少女に向かって拳骨を
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06月10日(日)
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